この夏のテーマのひとつは、“ 朝は屋外で身体を動かして暑熱順化する ” だ。
去年まで暑さから逃げてばかりて、夏の後半になってバテてしまった。
身体を動かすといっても自転車で散歩するとか、2キロほどジョグするとか、
プールへ行って水中WALKするとか30分くらい、決して無理はしない。
きょうは手始めにロードバイクでいつものジョギングコースを走った。
御前浜のエノキの巨樹の木陰で野菜ミックスジュースを飲んだ。
白内障が少しずつ進んでいるらしい。
サングラスをしないと光が乱反射して眩しい。
オリンピックは止められなかった。
昨日も京都で眼鏡堂氏と話した。
やっぱりやるみたいですな。
ちゃっちゃとやって早く終わって欲しいね。
生活の糧でありながらそんな愚痴を言うのはフェアじゃないと思うが正直な感情。
めんどくさいことになっちゃったな。
だから早く終わろうよ、と。
戦争突入もこんな感じだったんだろうな、と思った。
(そもそもの招致は別の話として、僕はこれに一番抵抗があった)
「俺はこの戦争は無理だと思うんだよね」と家で嫁さんや子供に言ってる人も、
会議では「やるしかない」と発言する人に同調している。
これまずいよね、と大多数の人(真っ当なステイタスの市民)が思っていても、
ハンドルのきかない車は暴走、クラッシュするまで蛇行運転を繰り返す。
山本七平の「『空気』の研究」で指摘されたヒトラーみたいな政治的独裁者がいなくても、
空気の圧で「やめよう」と言えず、責任の所在を曖昧にして、戦争を始めちゃった流れと同じだ。
戦争だって、原発だって止められない。
もっと身体を張って覚悟すれば止められたか?
安保も止められなかった。
極右政権も、兵庫の維新侵攻も止められなかった。
オリンピックもそんな空気の中、決行するとなってしまったから誰もコントロール出来ず、
ハンドルの壊れた暴走車そのもので、世論の圧力とバランスで右往左往、これはずっと続く。
自国開催なんてもう二度とないことを祈る。
(僕が生きてるうちはないか)
編集チェックに出社する。
来週の番組は自分で作ることになった。
仕事が増えた。
また夕食をたべそびれる。
京橋駅ホームで立ち食い蕎麦を時間ギリで食べる。
立ち食い蕎麦なんてせめて9時過ぎまでやってて欲しい。