ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

ぬいるぐみ道楽は続くのか?!

 

ぬいぐるみ道楽が鳥類に及び、我が家にはいぬが7匹、クマが5頭、

ヘラジカ、サイ、カバが一頭ずつ。エゾフクロウが一羽いる。

これ以上は増やしたくないのに鳥が3羽増えてしまった。

amazonが同じシリーズを薦めてくる。

シンリンオオカミだが、姿形はほぼシベリアンハスキーの子犬。

かわいい。

思わず…

まだまだ。

ポチらないぞ。

 

ガマンしていたらamazonがシロクマを薦めてきた。

シロクマのこども、愛媛の県立とべ動物園のピースじゃ!

ヒロが「ピース欲しい!」

 

03:51あたりからの可愛さ、た、たまらん …!

ピースはもう27歳になるという。

ヒロは「生きてるうちに見に行きたい」という。   

   www.youtube.com

アドベンチャーワールドにもシロクマの赤ちゃんいたのか。

   www.youtube.com

tobezoo.ocnk.net

ぬいぐるみ道楽 鳥類に及ぶ。

我が家にやってきた小鳥たち 左の白いのがシマエナガちゃん、
真ん中がカワセミだがペンギンみたいなのでブルーペンギン、ブルペンちゃん。
奥がリアルっぽいカワセミでジェイド(翡翠)くん。

 

こいぬに飽き足らず、とうとう小鳥にまで手を出してしまった。

ぬいぐるみはもう増やさないと決めたが人は何かと理由をでっち上げる。

ヒロはいつもバックパックにこいぬたちを入れて散歩する。

そのときに夙川にカワセミを見つける。

「カワセミちゃん、かわいいねえ」などと背中のこいぬたちに話しかける。

その話を聞いて僕は思った。

カワセミちゃんをこいぬのペットに買ってあげよう。

仕事が忙しいこの一週間でストレス解消にamazonで3羽もポチった。

いずれも手のひらサイズの中国産。

 

リアルな姿形のカワセミ1,もふもふで一瞬ペンギン?と見間違うカワセミ1,

AIのお薦めで表示されたのが可愛かったのでシマエナガを1の3羽。

ヒロといっしょに命名した。

 

カワセミのリアルな方がジェイドくん(翡翠の英名)。

もふもふが青いペンギンでブルーペンギンでブルペンちゃん。

空飛ぶ宝石と呼ばれるカワセミ。翡翠(ひすい)と書いてカワセミと読むらしい。

これが翡翠の天然石、エメラルドとともに5月の誕生石だとか。

 

シマエナガは北海道の野鳥で、いま人気の小鳥だ。

ほぼ見た目はぬいぐるみ。

いまのところそのまんまだけど シマエナガちゃん と呼んでいる。

カワセミは見たことあるがシマエナガは見たことがない。

 

折しも宮城のコメ農家、佐々木さんからササニシキとひとめぼれの新米が届く。

 

 

歳をとるとなぜだろう、野鳥に興味がわくようになった。

カワセミも、このイソヒヨドリも還暦を過ぎてから知った。

こんな身近にいたことも今まで知らなかった。

ぬいぐるみ道楽、鳥類に及ぶ。

 

イソヒヨドリのぬいぐるみは検索したけど見つからなかった。

[2024/10/6]

 

 

[ 追憶の旅 ]  1曲限りのフォークデュオ

 

9月半ば、いまだ残暑厳しく、うんざりする。

この時期は毎年そうだ。

せめて想像だけでも、と真冬の景色をまぶたに浮かべた。

 

「ふきのとう」という男性フォークデュオがいた。

🎵 ひとりで思う 秋はもう深く

少しは涼しくなったかな。

 

思えば1970年代にはメジャーマイナー問わずこの手のデュオが流行った。

なぜか秋から冬、寂しく陰鬱な歌が多かった。

つらつらと思い出してみる。

 

「ふきのとう」の『白い冬』は1974年か…。

僕は高校生、受験時代かな。

ということは朝刊配達していた頃だ。

当時の音源はラジオのみ。

歌詞もすぐに憶えた。

若いって凄いなと思う。

 

 www.youtube.com

 

同じ「ふきのとう」の『風来坊』

これもどこかもの悲しい曲調。

日本人は、時代は、もの悲しさを求めていたのだろうか。

 

 

もの悲しい、と言えばこれかな。

「シグナル」という3人組、これも1975年、僕は受験生だった。

🎵 風にふるえるオレンジ色の 枯葉の舞い散る停車場で

停車場という単語がまだ歌詞として違和感がなかった時代だったのか。

続いて歌詞に 🎵 君と出会った 9月の午後 とある。

9月に枯葉は舞い散らないぞ、と思った。

1970年代の9月はそうだったのか?

それともシグナルは北国出身か?

(京都出身でした)

 

 

もの悲し、は秋や冬の専売特許ではなく早春にもある。

「とんぼちゃん」という秋田出身のデュオがいた。

イントロは北国演歌だ。

🎵 ひとつめくり忘れた暦が 寒そうに震え柱に貼り付いている

一人称二人称が僕と君じゃなかったら歌詞の内容もほぼ演歌だし。

「氷雨」を彷彿とさせる。

この歌も1975年にヒットしたのか…。

 

「古時計」というデュオもいた。

『ロードショー』という失恋ソング。

🎵 映画館のロビーで あなたの笑顔を見てしまいました

ロードショーという単語は普通に通用していた時代、1976年のヒット曲。

僕が大学へ入った年=一人暮らし(寮生活)を始めた年だ。

 

「雅夢(がむ)」というデュオの『愛はかげろう』もこの系列だろうか。

こちらは1980年とちょっと新しい。

僕はまだ大学生だった。

「歌のベストテン」でこの二人を見たことがある。

🎵 窓ガラス 流れ落ちてゆく雨を 細い指先で なぞってみる

これも歌詞は「氷雨」系のかなしみ演歌だ。

 

ふきのとう は何曲かひっとしたけど、ここまでのデュオはほぼ代表曲一曲限りだった。

それも時代にくっきりと刻印された清々しい。

あのころの自分の想い出を彩るバックグラウンドミュージック。

 

もの悲しいものが大半だけど、こんな明るい曲もあった。

三輪車という3人組の『水色の街』

🎵 水たまりの中で はしゃぎまわる君は 口から先に生まれたような

  無邪気なおてんば娘 いつのまにか 恋人にされたよ

 

 

この「水色の街」、歌詞や曲は明るいが、僕にとっては失恋ソングとして刻まれている。(笑)

ラジオから流れてきたのは1974年、高校生のとき。

はて、どんな失恋だったか。

思い出すだけで穴に入りたくなる。(笑)

 

[ 2024/9/17記 ]

ダチョウは悩まない免疫モンスター

    

 
塚本康浩「ダチョウはアホだが役に立つ」(幻冬舎)をKindleで読了。
ダチョウの本。
めちゃ面白かった。
ダチョウはアホだというのは聞いたことがあった。
 
「色々研究してわかったことはダチョウはアホだということ。記憶力がないんです。
毎日、世話している私のことをちっとも覚えていない。ダチョウの脳は目ん玉より小さいんです。」

60年の寿命の中で、病気になって落鳥する個体がほとんどいない。
怪我をしても、普通の鳥なら一週間かかる所を2、3日で自然治癒してしまう。
不潔な環境に適応している。つまりほとんど掃除などの世話をしなくて良い。
加えて、ダチョウさんって(声帯がなく)鳴かないので静か。
そして、40時間かけて消化したものを糞として排泄するので臭くないんですって。
凶暴だけど肉食ではなく餌はもやしと牡蠣の殻。めちゃ安上がり。
                          (note のレビューより)   
                  
自分の居場所も憶えないし、自分の家族も忘れてしまう
でも、神さまは知能と引き換えに 無双の健康体 を与えた。
病気で死ぬことはほとんどないらしい。
ちょっとした怪我、骨折や切り傷(人間なら縫うくらいの)もすぐに治る。
免疫力モンスターなのだ。
記憶力がないから、悩んで心の健康を害することもない。
これは凄い能力かも。
加えて!
動物界でチータに次いで2番目に足も速い。
最速70km/hで走り、しかも40km/hで2時間走ることができる。
つまりフルマラソンを1時間で走る。
そのスピードで往復することも出来るスーパーアスリートなのだ。

 
この本はそんなダチョウに惚れ込んだ獣医 、いまは京都府立大学の塚本学長が書いた本。
そんな免疫モンスターのダチョウの卵から感染症の抗体を作り出す。
MERSやエボラ出血熱の抗体を世界に発表した。
新型コロナの抗体(ワクチンではない)をいち早く精製して売り出したり。
この塚本学長という人間も面白い。
 
動物園にダチョウを見に行きたくなる本。
そういえば昔、冬の函館でダチョウ牧場を観た。
寒さを屁とも思わず元気に動き回っていた。
ダチョウのステーキも食べた。
赤身でしっかりした肉だった。
 
これ一家に一本ですね。

ニセ背景にだまされるな

昨日 セルジオからLINEで一枚の写真が送られてきた。

セルジオ本人が写っている。

なんとなく見覚えがあるが問う。

「いつ? どこ?」

「1991年のベルリン」

やっぱりそうか…。

おそらく僕らが泊まったペンションの前だろう。

「撮ったのは僕?」

そうだ、という。

いい写真だ、と自画自賛。

僕は滅多に縦サイズの写真は撮らないので、この写真は珍しい。

 

1991年1月、冬のベルリン 33年前か…。

 

1991年ではなく1950年代くらいの時代感がある。

「五木寛之がシベリア経由でヨーロッパを旅した時代の写真みたいだ。」

とセルジオが返す。

 

1991年、正月早々から2週間ほどの旅だった。

シンガポール航空でスイスのチューリッヒに入り、南バイエルン、ウイーン、ブダペスト、

バンベルクを経由してベルリンに入った。

帰りは旧東ベルリンの空港からシンガポール経由で帰国した。

今と同じ仕事をしていたが、あの頃は年に何度か長い休みがとれた。

…というか、勝手に休暇をとり、それでも平気だった。

 

着ているウールのコートが時代を反映してない。

僕はこの旅でずっとダウンジャケットを着ていた。

ちょっと重いけどベルリンの街にはダウンよりウールが合う。

今風に言えばバエる。

33年前のベルリン、当時JNNで駐在カメラマンをしていたイズミ氏と現地のカフェで会った。

僕らと同い年の彼はいま、難病のALSで闘病中だというショッキングな情報を聞いた。

 

下の写真をセルジオに送った。

「ヨコもあったのか」とセルジオ。

いや、違う。

両サイドの画像は 生成AIが作ったニセの世界だ。

セルジオが「怖い」と返してきた。

 

CANVA というデザインツールで生成AIで背景が拡張された。

何となく憶えているが、ペンションの前は大きな通りで車が行き交っていた。

視界は開けていて、こんな路地ではなかった。

よく見たらニセものだとわかるが、一瞬ではだまされる。

他にも何種類か提案してくる。

 

こんな絵はがき風になったり…

緑が繁り、車が停まっていたり…

気味の悪い女が立っていたりする。

 

確かに薄気味悪い。

ちなみに大阪大学のサイトで生成AIの問題点が指摘されている。

1. 間違いを生成する

2. 根拠がわからない

3. 学習していない情報は対応できない 

4. 同じ質問でも異なる回答をする 

5. 日本語は得意ではない

6. 生成AIが生成したかわからない 

7. 倫理的問題がある

 

この「 アレキサンドラ 」というペンションはアレキサンダー広場の近くにあったはず。

Googleマップや名称検索でサーチしてみたら…

あった!

https://www.letsbookhotel.com/en/germany/berlin/hotel/hotel-pension-alexandra.aspx

僕らはこの宿をどこでどうして見つけたのか。

当時は「地球の歩き方」か、ツーリストインフォメーションで紹介してもらうか、だ。

なんだかあの頃の旅が懐かしくて仕方ない。

このニセ画像の世界に入っていきたい。