9月半ば、いまだ残暑厳しく、うんざりする。
この時期は毎年そうだ。
せめて想像だけでも、と真冬の景色をまぶたに浮かべた。
「ふきのとう」という男性フォークデュオがいた。
🎵 ひとりで思う 秋はもう深く
少しは涼しくなったかな。
思えば1970年代にはメジャーマイナー問わずこの手のデュオが流行った。
なぜか秋から冬、寂しく陰鬱な歌が多かった。
つらつらと思い出してみる。
「ふきのとう」の『白い冬』は1974年か…。
僕は高校生、受験時代かな。
ということは朝刊配達していた頃だ。
当時の音源はラジオのみ。
歌詞もすぐに憶えた。
若いって凄いなと思う。
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同じ「ふきのとう」の『風来坊』
これもどこかもの悲しい曲調。
日本人は、時代は、もの悲しさを求めていたのだろうか。
もの悲しい、と言えばこれかな。
「シグナル」という3人組、これも1975年、僕は受験生だった。
🎵 風にふるえるオレンジ色の 枯葉の舞い散る停車場で
停車場という単語がまだ歌詞として違和感がなかった時代だったのか。
続いて歌詞に 🎵 君と出会った 9月の午後 とある。
9月に枯葉は舞い散らないぞ、と思った。
1970年代の9月はそうだったのか?
それともシグナルは北国出身か?
(京都出身でした)
もの悲し、は秋や冬の専売特許ではなく早春にもある。
「とんぼちゃん」という秋田出身のデュオがいた。
イントロは北国演歌だ。
🎵 ひとつめくり忘れた暦が 寒そうに震え柱に貼り付いている
一人称二人称が僕と君じゃなかったら歌詞の内容もほぼ演歌だし。
「氷雨」を彷彿とさせる。
この歌も1975年にヒットしたのか…。
「古時計」というデュオもいた。
『ロードショー』という失恋ソング。
🎵 映画館のロビーで あなたの笑顔を見てしまいました
ロードショーという単語は普通に通用していた時代、1976年のヒット曲。
僕が大学へ入った年=一人暮らし(寮生活)を始めた年だ。
「雅夢(がむ)」というデュオの『愛はかげろう』もこの系列だろうか。
こちらは1980年とちょっと新しい。
僕はまだ大学生だった。
「歌のベストテン」でこの二人を見たことがある。
🎵 窓ガラス 流れ落ちてゆく雨を 細い指先で なぞってみる
これも歌詞は「氷雨」系のかなしみ演歌だ。
ふきのとう は何曲かひっとしたけど、ここまでのデュオはほぼ代表曲一曲限りだった。
それも時代にくっきりと刻印された清々しい。
あのころの自分の想い出を彩るバックグラウンドミュージック。
もの悲しいものが大半だけど、こんな明るい曲もあった。
三輪車という3人組の『水色の街』
🎵 水たまりの中で はしゃぎまわる君は 口から先に生まれたような
無邪気なおてんば娘 いつのまにか 恋人にされたよ
この「水色の街」、歌詞や曲は明るいが、僕にとっては失恋ソングとして刻まれている。(笑)
ラジオから流れてきたのは1974年、高校生のとき。
はて、どんな失恋だったか。
思い出すだけで穴に入りたくなる。(笑)
[ 2024/9/17記 ]