ここんとこ南木佳士さんの小説やエッセイばかり読んでいる。
愛猫トラとの日々を綴った私小説「トラや」を通勤の車内で読み終えた。
捨てられていた子猫を拾いトラと名づけた。
病気になったり骨折したり、飼い主が精神を病んだりして、互いを慰め合って過ごした。
夫婦仲、子供との仲が気まずくなっても…
「トラはいつの間にか一家統合の要になっていたのだった」とある。
長年ともに暮らした愛犬愛猫(ペットという呼称は使いたくない)との永遠の別れは
どの小説やノンフィクションやコミックを読んでも涙を誘う。
谷口ジロー「犬を飼う」や東良美季「猫の神様」の晩年の描写はたまらない。
特に老いて衰え、虚ろな目で飼い主を見つめる老犬老猫の姿を想像するだけで悲しい。
実家の愛犬ねねが今年5月の逝った。
小犬のころから13年以上いっしょに暮らしたポメラニアンで、晩年は両目が失明したが、
ねねは気にもせず(というふうに見えた)、おやつを求めて家の中を動き回っていた。
妹が段ボールの中で花に囲まれて横たわる ねね に「ありがとね、ありがとね」と呼びかける動画は、それだけで元気だった頃が走馬灯のように流れ、泣きそうになった。
文章表現には感心することが多い南木佳士氏の著作だが「トラや」にもあった。
猫とは直接関係ないが…
朝、カーテンを開けると庭からの前の田にかけて雪がつもっている。
換気の接近の気配は日々感じられていたのだが、
いざ雪に降られてみないと、冬が来た、と実感出来ない。
出来事は、いかに予兆に満ちていても、ある朝の雪景色のように、いつも唐突に起きる。
人生で起こる重大な出来事は、ある朝の雪景色のように、突然目の前に現れるのだ。
恐れに近い感情が沸き起こる。
2ケ月ぶりの「ぷよねこ日記」更新でした。
もっと気軽に、もっと短くていいから、こうした日記をアップしていこうと思う。
2023/10/6