残暑が続く。
ピークを越したと言われるけどまだまだ暑い。
一気に真冬になってくれないかな、と夢想する。
夏を名残惜しむという気持ちはもうない。
サルスベリや夾竹桃、夏の花もなんだかくたびれてきた。
朝は走らず、午後から出社。
夕食は最近のマイブーム、櫻家カレー。
辛くて美味しいけど脂の量が半端ないな。
きのう京都吞みしたので今日は一滴も飲まずに一日を終える。
日々はそれぞれに適量の義務や問題を含んで到来し、また去っていく。
毎日の終わりにはちょっとした達成感があり、それを七日分まとめれば
一週間という日時を有効に過ごしたことになる。
同じようにして一ヶ月でも一年でも、時間という空の容器に何かを詰めることはできる。
しかし、その手応えに騙されてはいけないと頼子は思う。
うかつな者はそれだけで何かをやり遂げたような気になるが、
次々と飛来する球をとりあえず相手コートに返しているだけで
全然得点していないということだってあるのだ。
(池澤夏樹「真昼のプリニウス」)
自分のゴールがわからなくなってしまった。
若いときだって明確なヴィジョンがあったわけではないけれど…。
ゴールが見えなくなったというより、諦めが加味されて、ゴールそのものが霧消した。
生物的なフィニッシュ地点が見えてきたからだろうか。
負けは覚悟した。
残り15分。
なすすべも無くプレイタイムが削られていく。
僕はこの夏、得点する意欲もなく、ただボールを追い、このコロナ時代を過ごしている。
逆転勝利の可能性が限りなく小さいとしても、自陣でマイボールを回すだけの日々。
それが最適解だとは思えない。
ただ、もうこのままでいいや いまが維持できればいいや というのは違うぞと最近思う。
今の年齢を考えれば肉体的には現状維持=成長というのが現実であることはわかる。
でも、生きる態度として、それはないな ダメだな と思うようになった。
いまより良いところに行こうという態度は、実際に行くことより意味があるのかもしれない。
ゴールが見えなくても、今より良いどこかへ行こうとささやかな望みを持つこと。
よくわからないことを書いてごめんなさい。
警鐘の延長、抵抗の迷走、このコロナ下で自分の人生が削られていく。
人間が生きるのはなにかと面倒くさい。
雨の中、途切れなく泣く二匹の猫を一人暮らしのアパートに連れてきた孤独なライター。しかし、猫との幸せな日々は永く続かなかった。猫たちは病いに倒れ、相次ぎ逝ってしまう。人間の世界に神様がいるとは思えない、でも猫の寿命はきっと「猫の神様」が決めている。猫との静かな日々の移ろいを綴る心の物語。
amazonのレビューに
猫も飼ってないし、特に猫好きでもないけど、東良さんの文章が好きなので、買って読んでみた。とにかく文章が上手い。もともとエロ関係の仕事をしていたとは思えない。猫との心の交流が見えてくる良作品。
自分がもし一人暮らしでこんな奴らと10年もいっしょに暮らしてたら…と想像する。
その喪失感はひょっとして人間よりも大きいかも知れないな。