朝、3キロ30分ジョグ。
サングラス越しの夏の海はどこかフランス映画みたいだ。
ロベルト・アンリコ「冒険者」の要塞のあるラロシェルの海を思い出す。
レティシアのテーマの口笛を脳内再生する。
西宮の海におじさんが二人、シュノーケルで青い海にぷかぷか浮かんでいる。
アラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラみたいだ。
炎暑のジョギング、わずか30分でもたっぷりと汗をかける。
サングラスのレンズ越しにエノキの樹を撮る。
樹齢はどれくらいだろう?
ネットで見るエノキの巨樹は200年とも400年とも言われている。
この御前浜のエノキ、樹高と幹の太さ、根の張り具合から想像するに樹齢100年以上だと思う。
少なくともここに海水浴場があった戦前からここに立っていた。
同じ浜に幕末の砲台跡があるが、その頃からか…。
近所に住んでいた小学生時代の村上春樹が父親と猫を棄てにきたところも見ていたに違いない。
毎年、新しい葉をたっぷり繁らせ、夏には大きな木陰を作る。
いつか僕がこの世を去るときもこのエノキの巨樹はここに立っている。
木漏れ日が美しい。
午後イチでニュース斑会議、そのままポスプロ編集のチェック。
いつもより少し時間がかかる。
夕方、約束していた吞み会へ行く。
梅田のグランフロント「ぬる燗佐藤」という店。
今年いっぱいでテレビ局を退職して実家のある尾道へ帰るKとの語らい。
思い出話と決意表明で日本酒が進む。
Kの思いを自分のことと考えて想像してみた。
生活の場を変えてしまおうか、という衝動はほぼ皆無だった。
結婚する前は長い旅に出かけることが代替行為だった。
結婚してからは、ゆるく穏やかな日々が流れ、概ね不満はなかった。
ささやかだけど幸せ という感覚が、おそらくあったであろう野望を眠らせたままにした。
そんな暮らしは僥倖であったことは自覚している。
いまこの年齢になって、このささやかだけど幸福な生活が失われるかもしれない。
いや、それは時間の問題で、全てではないにしろ、確実に失うことになる。
それへの対策そのものが変化のきっかけになるかもしれない。
変えたい、変わりたいという欲求が、外的な要因、たとえばコロナ不況で生まれつつある。
チャンス(時間)はいまが一番残っている。
今が一番若い。
残り時間はどれくらいあるだろうか?
そんな計算はせずに、もう始めてなきゃ、と思う。
少し飲みすぎた。