ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2022/07/09 (土)

 

【 7.09 日録 】

起きたら9時近かった。ヒロもまだ眠っていた。今日は特にするべきことはない。眠れるのはいいことだとトシヨリになってからはそう思う。午後からついにボーマン(胃痛)がじわじわとしくしくと蠢きだした。やっぱりボーマンの原因は飲み食いと疲労の蓄積だと知る。そろそろ来るなという予感あり。で、きょう土曜は閉店ガラガラ、自宅から一歩も出なかった。本当に一歩も出なかったので24時間以上マスクをしないで過ごせた。夜はレトルトのフカヒレ雑炊にしてもらう。(218文字)

 

西大寺の暗殺についての報道やインタビューで「言論の自由が暴力で奪われた」という表題や発言が聞かれるが、今回のケースでは感覚的に全くピンと来ない。政治家の暗殺について書いたり、語ったり、インタビューに答えたりする人は「こう答えるのが正解」みたいに思考停止しているのか、あるいはこれを政治テロにして利用しようという意図があるだろうなと思ってしまう。言論の自由を守るということに関して彼ほど似つかわしくない政治家はいないと思うのだが…。ある意味、独特のあの話法のことを言論の自由というのかしら? そもそも、彼は暗殺されるほどの政治家だろうか、暗殺されることで不当に評価を上げてしまいそう、と言ったら死者を冒涜することになるのか。(224文字)

 

あまり好き嫌いのない自分にとって珍しく大嫌いな人物だったので、こういう事態になって逆に動揺してしまった。いい人ぶるつるもりは毛頭無いが、快哉を叫ぶ気にも到底なれず、うまく表現出来ないまま一日が過ぎてしまった。今朝、翌日にアップされたブログを読む。「あとは野となれ山となれ」 の書き出しを読んで、ハッとした。

情緒的な物語が大好きなこの国の大衆とマスコミに、このようなタイミングでこのような物語が投げ込まれるとは、残念無念などという語では表せない。

この文字数で、明解な心情表現、このあとに続く冷静な筆致に感心した。つくづく自分は言葉を使っての表現が下手くそだと再認識した。(感受性が鈍ってる?)でもまあ、それだけこの案件に心が揺れたのだと自己弁護しておこう。

 

今回のようなどう表現したらいいのか混乱する事件に接して他者がどう書いたのかをいつも以上に読みたい欲求が沸く。この人のブログも読みものとして説得力があった。 「毎日jogjob日誌 by 東良美季」トラヴィス・ビックルのように と題された文章。ベトナム戦争後のニューヨークと現代の日本、映画「タクシードライバー」の主人公と今回の犯人を重ねて綴っている。

70年代の日本には今より多くのテロ事件があった。72年連合赤軍の「あさま山荘事件」、74年東アジア反日武装戦線による「連続企業爆破」等々。だけど現代の方が多くの人々が社会の底辺に追いやられ、その自我は容赦なく押しつぶされている。トラヴィスのように。