7時半起床、今日もスッキリとした目覚め。
…と書きたいがそういうわけにはいかない。
どよーんと重たい。
眠気が残ったまま。
贅沢言うな。
60年以上もずっと脳と身体は働き続けているのだ。
昨日観た映画「いのちの停車場」でわかっただろ。
あかるく穏やかな晩年が待っているかはわからない。
朝、どこも痛みがなくて、めまいも、耳鳴りも、頭痛もなくて、
自力でトイレへ行き、自分で煎れた熱いコーヒーが美味しければそれで十分だろ。
今日は日中ずっと雨予報、朝から雨音が聞こえる。
一本ちゃんと原稿を書く日だ。
昨日からそう決めている。
出来るかなあ。
大した作業量じゃないのだから出来るはず。
だけど圧がない。
朝にしてすでに先延ばしにする。
午前中は昨日見た映画の感想を書いたりして終わる。
雨は降り続く。
おいしい昼ごはん。
とろろと麦飯ならぬ玄米が美味しい。
鰺の立田揚げが美味しい。
オカヒジキの食感がいい。
食べて満足する。
当然ながら居眠りを始めた。
なんと3時間も眠る。
起きたら雨が上がっていた。
図書館へ行く。
宮下奈都「静かな雨」を借りて読む。
静かな小説。
夕ごはんは焼きそば。
もやしと焼きそばだけの一品をノンアルコールビールで食べる。
満足。
決めたタスクは出来なかったが満足。
昼寝したのでなかなか眠れないだろう。
あした、もう一度原稿を書く日にしよう。
朝は走って、夕方は早い時間に温泉銭湯へ行こう。
夜はAmazonプライムで「キューポラのある街」を観た。
きのう映画館で「いのちの停車場」で五十代を演じる七十代の吉永小百合さんを観た。
激しく不自然!とは思わなかったが、この人 実は76歳なのだという思念が邪魔して、
主人公の医師に素直に感情移入出来なかった。
そういうのはちょっと吉永さんに対して申し訳ないなあと思った。
かつて吉永小百合には今回の「いのち…」で共演している広瀬すずのような時代があった。
いや、時代が違うのでフェアではないが、小百合さんは広瀬すずどころじゃなかった。
で、「キューポラのある街」なのだ。
有名なこの映画を観たことがなかった。
去年の夏の自分企画「実は、わたし、まだ観てなかったんです」映画だ。
中学3年の石黒ジュン(吉永小百合)は、鋳物工場の直立炉(キューポラ)が立ち並ぶ埼玉県川口市の鋳物職人の長女である。何事にも前向きで、高校進学を目指すジュンだが、父・辰五郎(東野英治郎)が工場を解雇されたため、家計は火の車で、修学旅行に行くことも諦めていた。
自力で高校の入学費用を貯めようと、パチンコ屋でアルバイトを始めるジュン。担任教師の助力で修学旅行にも行けることになった。しかし、ようやく再就職した父親は、待遇が不満で仕事をやめてしまった。絶望したジュンは女友達と遊び歩き、危うく不良少年たちに乱暴されかけた。
全日制の高校進学を取りやめて、就職を決断するジュン。北朝鮮への帰還問題で苦悩する朝鮮人の一家や、貧しくとも力強く生きる人々との交流を通じて、ジュンは、自立して働きながら定時制高等学校で学び続けることに意義を見出したのだった
1962年、古い映画なのでそれほど期待せずに観た。
小百合さんが年相応の役を演じているところを見たかった。
意外にも…と言ったら浦山桐郎監督に失礼だが、映画そのものが面白かった。
昭和37年、敗戦の年に生まれた吉永小百合は17歳。
この映画では中学3年を演じている。
老いた父親は鋳物工場を解雇され、母親は内職をしながら二人の弟と二間の長屋暮らし。
映画が始まってすぐにそこそこええ歳の母親が妹を産んだ。
今の基準からすれば生活に困窮した貧困家庭の娘。
当時はどこも似たり寄ったりだったけど。
この時代の映画を観るといつも思う。
遠い異国の風景、アジアのどこか別の国の出来事のよう。
でも、僕が生まれ育った国の、僕らが歩いていた路地が映っている。
僕の小学生の頃の写真の背景と映画の背景は同じだ。
吉永小百合演じる黒岩ジュンは可憐で健気で、道ばたに咲く野の花のようだ。
当時の日本が吉永小百合に熱狂したのがわかる。
昨日の「いのちの停車場」の彼女にキューポラのジュンを見てしまう世代にとって、
歳不相応であろうと、ちょっと無理していようと、構わないのかもしれない。
鋳物工場の街で働く労働者の家庭。
中学三年のジュンの父親は東野栄二郎で母親は杉山とく子。
どうみても六十代後半にしか見えない。
いや、今なら七十代でももっと若々しい人もいる。
中学生の両親なら四十代だろう。
戦争で結婚が遅かった世代なんだろうか。
映画が始まってすぐにジュンに妹が生まれるからもっと若いのかも?
見た目だけでいえば60代、超高齢出産だろと映画に突っこむ。
映画のクライマックスあたりに中学の同級生が北朝鮮へ帰国する。
帰国を肯定的に描いていると今になって批判されているらしい。
当時は…誰もわからなかったじゃないか、と思う。
それに肯定的には描いてはいないと思う。