ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2021/08/12 Thu. 究極の “ 不憫な美少女映画 ”

今日からずっと雨予報、甲子園は第1試合で降雨ノーゲームとなった。
本降りではないので自転車で行こうと思ったらいけたが帰りを考えて歩く。
ナレーション立ち合い、セブンイレブンで買ったものでランチタイムを経て、
激しく眠くなり(気圧が低いと眠くなるのか?)、雨がやんでる合間に帰宅する。
しばらく、デスク下で仮眠をとる。
5時過ぎに寝て、起きたら7時過ぎ。
2時間も眠ってしまった。
 
お盆休みの13日から15日、3日間の予定を立てる。
ずーっと雨予報で、梅雨のようにじとじとして、外に出たらコロナでロクなことはない。
最低限これだけはやっておこうというリストを作るが、これもやりたいことをするだけだ。
仕事は……しない。
というか…ない。
ないと思う。
 
海外では増えても、生活そのものは開放されるベクトルがある。
逆に日本は制限が増えるごとに陽性者がどんどん増えていく。
制限すればするほど増えていく。
お得意の後手後手メソッド。
コロナやウイルスや検査や抗体の有効性やら諸説入り乱れている。
自分の信じたいことだけを見聞きし信じる傾向はますます強くなる。
みんなうんざりして面倒くさいのだ。
 
マスク生活などのコロナ対応、去年の春に1年は我慢しようと書いた。
自分に言い聞かせるように何度も書いた。
去年なんてマシだったと今は思う。
去年の夏とか居酒屋で吞み会出来たもん。
ここにきて、もしかして3年?、いや5年かも知れないと思うようになった。 
生きてるうちに昔のようになるのだろうか、とも。
忌々しいマスクを燃やす日は来るのだろうか?
もともと大勢で騒ぐのは嫌い。
花見とか宴会とかバーベキューとかのどんちゃん騒ぎがなくて嬉しい。
マスクや移動制限、アルコール提供制限は憎むけどソーシャルディスタンスは歓迎。
 

寝る前にamazonで映画を観る。
途中まで観たまま、残り45分を残していた映画「非行少女」(1963年 浦山桐郎 監督)
もう一ヶ月くらい塩漬けにしてしまった。
ひどい映画の見方ですね。浦山監督、和泉雅子さんごめんなさい。
でも、見応えのあるいい映画でした。
 

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森山啓原作「三郎と若枝」より「天草四郎時貞」の石堂淑朗と「キューポラのある街」の監督浦山桐郎が共同でシナリオを執筆、浦山が監督した現代ドラマ。撮影は「愛と死のかたみ」の高村倉太郎。

1963年製作/114分/日本 原題:Each Day I Cry 配給:日活

十五歳の若枝はうす汚ないバーで酔客と酒を飲み、ヤケクソのように女給のハイヒールをかっぱらってとび出した。東京で仕事に失敗して帰って来た二十一歳の三郎は、職安通いの空虚な毎日を送っていた。暗く陰うつな北陸の空、金沢の映画館の前で幼ななじみの二人は再会した。三郎はうらぶれた彼女に、なけなしの金からスカートを買ってやった。喜んだ若枝は、のんだくれの父親長吉と、いやな継母のいる家をとび出したわけを話した。若枝をこれ以上堕落させまいと決心した三郎は、翌日から少しずつおくれた勉強を教えてやった。若枝の心にやすらぎがよみがえり、三郎はうれし泣きする彼女の涙をそっとすすってやるのだった。しかし、その若枝をグレン隊の竜二がしつこく追いまわし、例のハイヒール代三千円をタテに彼女を犯そうとさえした。秋祭りの日、思い余った若枝は学校にしのびこみ金を盗み出したが、小使いに見つかって逃げた。三郎の家では、兄の太郎が村会議員に立候補するため大盤ふるまいの最中、そこへ泥酔した長吉が若枝のスカートを手にどなりこんできた。が、小使いが若枝の盗みをバラしたことからたちまち青菜に塩となった。三郎はその前に竜二から三千円をせびり取られており、いままでの若枝への夢が急に崩れてゆくのを感じた。彼は太郎のすすめを入れて遠縁の家の養鶏場を手伝うことになった。若枝はムリヤリ叔母の家にひきとられたが、ぬけ出すと三郎のもとに走った。だが三郎の態度はつめたく、心のよりどころを失った彼女は、三郎が去ったあと、失火で鶏小屋を全焼させてしまった。誰のせいでもない、ただ偶然がそれを支配しただけなのに世間はあらぬ噂で二人をしめつけた。非行少女の保護機関である北陸学園に入れられた若枝は、暖い眼に見守られながら静かな数週間をすごした。ここでも同級生の富子や新子の誤解から反感をかったが、しまいには同じ境遇にある者同士の奇妙な友情が生れるようになった。若枝はその間たった一度だけそっとぬけ出して、自分の家を見に行った。が、失火事件以来父親たちはどこかへ行ってしまったことが判った。三郎は金沢でバーテンをやりながら細々と暮していた。ある夜、竜二と出合った彼は殴りあいをはじめ、松太郎に助けられた。松太郎は小さな工場で辛抱づよく動きながら組合運動に活躍している男だった。“努力はいつか報われる”その彼の言動は強く三郎の胸を打った。彼はいままで道で若枝に会っても顔をそむけていた自分が恥かしくなった。三郎は学園に急ぐと、彼女にむかって叫ぶのだった。「元気出すのやぞ、二人で何とかやろうぜ」行方の知れなかった長吉は、女にも逃げられ病気で倒れていたのだ。若枝は大阪へ働きに行くことになった。彼女の中に雑草のようなシンの強さを見てとった三郎は、何も言わずに大阪行の列車にのせた。「三年たったら迎えに行くから頑張るんや」三郎が叫んだ。

 

撮影に15時間上もかかったという雪の夜のシーン。

浦山監督が何度も何度も無言のダメだしをしたという。

当時15歳、のちに和泉雅子がインタビューで監督が殺したいくらい憎かったと語っている。

和泉雅子は日記に「ウラ公(監督)殺して、オレも死ぬ」と何度も何度も書いたそうだ。

そもそも浦山監督は素人が使いたくて和泉雅子では撮りたくなかった。

和泉雅子はこんな悪の役の映画に出たくなかった。

日活は浦山×和泉で撮りたかった。

この緊張感が和泉雅子の目に殺意さえ宿らせた。

演出として、俳優として、凄みを感じる。

 

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非行少女というタイトルだが東映の「不良番長」や「スケバン」みたいなイメージとは遠い。

限りなく不憫(ふびん)、究極の不憫映画だ。

明るい青春恋愛ものが日活のイメージだったが、キューポラと非行少女はとことん暗い青春映画。

光あるところに陰あり。 

戦後ニッポンの光と影だ。

和泉雅子がこの映画の自分の演技は女優としては以後超えることが出来なかったという。

浦山桐郎監督「非行少女」 インタビュー:和泉雅子- YouTube

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更正施設のシーン「おまえはべっぴんやさけえ ええわ」と金沢弁が懐かしい。

もともと興味が無かったこの映画を観ようと思ったのは舞台が金沢と内灘だったからだ。

映画のラストに1962年当時の金沢駅が映し出される。

おお、金沢駅だ!

僕が知っている国鉄金沢駅だ。

いまのモダンな金沢駅からはほど遠い北陸の田舎駅。

僕が大学受験で降り立ったのはまさにこんな駅だった。

1976年のことだった。

立ち食いそばと駅弁の匂いがする改札口。

僕が大学を卒業するあたりまではこのままだったような気がする。

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金沢駅前のロータリー、僕の知ってる昭和50年代はもう少しビルが建ってました。

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まさしく僕の知ってる金沢駅です。

僕が中学生くらいの頃、最初に憧れたのは吉永小百合や和泉雅子じゃなくて、酒井和歌子だった。

平凡や明星に“ワコの夏休み”とかのグラビアが載っていたのを思い出す。

amazonやYou-Tubeで若き日の酒井和歌子さん主演の映画を観ることが出来る。

こんな動画ばっかり観て夜遅くまでウイスキーを飲んでいた。

何やってんだか、昼寝のしすぎですね。

あすは終日雨の予報。

 

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青春通り 酒井和歌子 - YouTube

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吉永小百合や和泉雅子は日活、彼女は東宝の看板女優でした。当時19歳。

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僕らのあこがれの人だった酒井さんは72歳、僕らと同世代の宮崎さんも63歳…。