最近読み始めたブログがある。
書き手は女性、今泉愛子さん。プロフィールによると1965年生まれで、職業はフリーライター、
学生時代は陸上トラックの中長距離の選手、数年前にマスターズとしてランニングを再開した方。
彼女が最近、練習中に転倒した。
なんとランニング中に転倒して眉の上を縫うくらいの傷(転倒後、血まみれになりました)、
右手と肋骨にヒビが入ってしまいました・・・。
とのことで、お気の毒である。
僕も最近はペースも遅いので回数は減ったがランニング中に何度か転倒している。
減ったとはいえ今でもたまに転びそうになることもある。
大事になるか、ならないかとだけの話。
可能性が0にはならない以上、注意は必要だ。
転倒した場所、状況、体調によっては思いもよらぬ大事となる。
転んで手をついた地面に割れたガラスがあったりとか。
二歩目で踏ん張った場所に段差があったりとか。
今泉さんはエリートランナーだからペースも比べものにならないから、危険性は増す。
転倒について書かれていることに感じ入った。
今回知ったのは、本当に危険な時は回避する間もなく気付いたら転んでいるってことです。
いつも木の根や石をうまく避けて走っている気でいたんです。
だけど、そうじゃない時がある。
全ての事故はそういうことなんでしょうね。
気の緩みと言ったり、罰が当たったと言ったりしますが、それは根性思考であって、たまたま全てのタイミングがあった時に起きる、単に確率だと思いました。
反省したところで次が回避できるわけではなくて、そもそも「その一瞬」とはつねに背中合わせで生活していますが、いつもはタイミングがずれているから怪我せずにすむ。
今後わたしはランニング中に突然の方向転換はしないと思いますが、それで全ての事故が回避できるわけではないでしょう。
ランニングを再開してこの4年間、まったく故障しなかったので、そろそろ何かがくるタイミングでしたね。
確率的に言えば。
昨日の私にしても、別の可能性が加わればもっと大惨事になっていたかもしれません。
人間がどれだけ不注意を回避しようとしても100%は難しい。
だから飛行機は、オートパイロット(自動運転)を取り入れるわけです。
不注意を回避できる確率は人によって異なると思いますが、最高でも80%90%くらいで、必ず注意が及ばない域があるでしょうね。
でもそれで開き直るのではなく、確率を減らしていく努力は必要で、それが昨日の私のように急な方向転換は避けるとか、夜道はなるべく走らないとか、そういう対処法になってくると思いました。
本当に危険な時は回避する間もなく気付いたら転んでいる
僕が転倒した記憶を辿るとまさにそうなんです。
たまたま全てのタイミングがあった時に起きる、単に確率だと思いました。
反省したところで次が回避できるわけではなくて、そもそも「その一瞬」とは
つねに背中合わせで生活していますが、いつもはタイミングがずれているから怪我せずにすむ。
でも、いつまでも幸運は続かない。
いつかは転倒というチャンスが巡ってくる。
走らない、外を出歩かないという選択肢はない。
だとしたら…
確率を減らしていく努力は必要で、それが昨日の私のように急な方向転換は避けるとか、
夜道はなるべく走らないとか、そういう対処法になってくる
決め手となる予防策はない。
いたって地味な対処法、危険を察知して避けることや体調を整えること、なのかもしれない。
転倒は避けられない、でも可能性は減らせる。
なんだか村上春樹の本で知ったフレーズみたいだな。
「痛みは避けられない。でも苦しみはこちら次第。」
意味は合致しないけど何となく似ている。