ことし元旦の日記に書いた。
2020 新しい十年紀の始まりに思う。“自らの世界をいま縮めるな、もっと遠くへ!”
そうだ。
物心ついて、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代と生きてきた。
そして2000年代、2010年代を生き残り、新しい10年が始まろうとしていたのだ。
新しい十年紀、new decade の始まりの年はご存知の通りトンデモナイ1年になってしまった。
でも、歴史の本を読むと、そろそろこういうトンデモナイ年があっても不思議じゃないと思える。
ジタバタするなよ、世紀末が来るぞ! と歌ったのはシブがき隊だったか。
トンでもない2020年が来たぞ、ジタバタするなよ、です。
たまたま僕の生きてきたハーフ・オブ・センチュリーにはたまたまこんな疫病が無かっただけ。
長い世界史を見たらこんな年は、たまにあることなのかもしれない。
トム・ジョーンズも歌っている。
「It's not unusual (よくあることさ)」
ザ・バンドも歌っている。
「It Makes No Difference(同じことさ)」
そう、コロナ騒ぎがあったことを世界はいつか忘れてしまう。
4月に読んだ朝日新聞の記事を思い出した。
「忘れるだろう、でもコロナは再び来る」高橋源一郎:朝日新聞デジタル
ぼくたちはまだ流行のただ中にいて、かつてないほど考える時間を与えられている。
けれど、間違いなくそのほとんどを忘れてゆくだろう。
大きな戦争や事件に対してそうだったように。
それがいつなのかは今のところ誰にもわからないけど、確実なのは忘れるということ。
ポーランドの詩人が書いた一編の詩がある。 声 「非戦」を読む
それがどういうことだったのか
知っている人たちは
少ししか知らない人たちに
場所を譲らなければならない そして
少しよりもっと少ししか知らない人たちに
最後はほとんど何も知らない人たちに (シンボルスカ「始まりの終わり」)
いいことも、悪いことも、すべては世界の記憶から一旦は消え去るものらしい。
世の中はそういうものだとシンボルスカは世界の真理を詩にした。
なーんて考えたりした。
朝、うんざり、ぼんやりした頭でつらつらと思ったこと。
午前中にティファールのジューサーが届く。
2年前に購入したものと同じだが先日突然死んでしまった。
「わたしが無理な使い方したからや。取扱説明書にある“したらアカンこと”を二つもした」
とヒロが言う。
保証期間も過ぎてるので買い直した次第。
午後から阪神電車で美術展を見に行く。
コレクション展「吉田博 播磨造船所絵画群」@兵庫県立美術館
通常なら500円のところ、連休は無料らしい。
吉田博はヒロが好きな画家で、3年前に長野県の上田まで吉田博展を見にいったことがある。
吉田博(1876~1950 福岡県出身)は、アジア・太平洋戦争の最中、相生市にある播磨造船所とその近辺で「銃後」の建造作業の様子、とくに動員勤労学徒の姿を描きました。その絵が、同造船所の後身であるJMUアムテックとIHI相生事業所に保管されていることが、近年、明らかになりました。そのほとんどを当館で預かりましたので、この度、お披露目の展覧会を開催します。
吉田は勤労学徒を送り出した学校にも絵を寄贈しており、その現存する4点と、播磨造船所と関係の深い旧・日本製鉄広畑製鉄所(姫路市)の絵2点もあわせて展示します。
また、造船所や製鉄所の絵のために吉田は綿密な下絵を多数描いていますので、その中から数十点を選んで紹介し、制作過程を辿ることができるようにします。
連休中、無料で混んでるかな? とも思ったがガラガラでした。
近場でこころ静かに美術観賞。
連休の良き過ごし方です。
広畑製鉄所、播磨造船所… 重厚長大の近大産業遺産に興味があり、往時を想像して楽しめた。
順路が「視覚遊戯」の展示が先で吉田博が最後だった。
他の人は疲れてしまったのか吉田博の展示室はヒロと二人で独占、贅沢な時間でした。
帰宅途中、コープで豚カツ用のもも肉を買う。
甘口カレーに目玉焼きをのせてカツカレーにする。
美味しいので一口カツを4つも食べてしまった。
カツカレーって禁断のメニューゆえに惹かれる。
いま、カツカレーが食べられる食欲があることを幸せに思う。
Netflix「鬼滅の刃」の残り3話を観た。
この続きはいまブレイクしてる劇場映画か…。