きのう仮眠して、夜中に起きたりしていてつくづく感じるのは視力の劣化だ。
近視に遠視、ビデオ編集やPC作業による乱視、ドライアイはもともとあったが、
ここ数ヶ月で感じるのは「レンズが暗くなった」ということだ。
暗い場所に弱くなった。
いままでは少し暗くても薄ぼんやり見えていた映像が真っ暗になってしまった。
カメラのレンズの性能で f 値 というのがあって f が明るいレンズは高価だ。
暗い場所でもきれいな写真が撮れるのが明るいレンズだ。
いまの自分の目に収まっているレンズの性能が明らかに落ちている。
暗いレンズというのはこういうことかと思った。
これはどうしようもない。
もうひとつ目の劣化として顕著なのは逆光に弱くなったこと。
電車に乗っているときに目に直接差しこむ太陽光、あるいは夜の車のヘッドライト。
暴力的な眩しさとしてしか認識出来ない。
以前は逆光の中にもディテールは像として結べていたような気がするが、今は眩しさしかない。
レンズが曇っている。
白内障の兆しかもしれない。
でも、これが今で、持っている能力でやり繰りしていくしかない。
疲れがしつこい脂汚れや眼鏡の曇りのようにスッキリとれない。
おととい、蔦屋書店で見つけて買った二冊。
コンシェルジュ文庫という店内イベントに陳列されていた中から選んだ。
レベッカ・ブラウン「体の贈り物」と東海林さだお「ひとり酒の時間 イイネ!」
東海林さだおの本は「○○の丸かじり」シリーズ以来、十数年読んでなかった。
「ひとり酒」というとこに惹かれた。
読み始めたら…しつこい。繰り返しが多すぎる。もういいよって感じ。
東海林先生、トシだな、腕が落ちたな、すぐに売ってしまおうと思った。
でも、もともと東海林さだおってこんなだったなと思い直す。
これが面白かったのだと思い直す。
変わったのは僕の方で東海林先生が変わったわけでは無かった。
もう一冊、レベッカ・ブラウン「体の贈り物」についてはまた別の日に書きたい。
連作集だが、昨日から朝に一編二編と読んでいる。
訳者はの柴田元幸先生がこの本をかなり推している。
読み始めて感じること多し。
コンシェルジュ文庫にはこんな本も…あった。
すでに持ってる本だが「死をポケットに入れて}(チャールズ・ブコウスキー 中川五郎 訳)
“老後を迷う”わたしが老後を迎えたとき、きっと世界は想像のつかない姿に様変わりしている。でも、今の自分と地続きの自分がきっとそこにいて、まあなんとかやっているんじゃないかと、ブコウスキーの痛快でシニカルな言葉で綴られた日記は安心とも不安ともつかない気持ちを与えてくれます。(京都岡崎 蔦屋書店)
また読み返したいと思った。
夕方までグッタリ感に甘んじてた。
ひとつだけ重たい買いもののおつかいをしにマルアイまで行く。
ウイルキンソンの炭酸水を24本買う。
買いものを終えて海を見にまた自転車で出る。
セブンイレブンで缶チューハイと菊水缶を買う。
いつもは落日を見ながら…だけど今日は満月、ブルームーンだ。
入江の芦屋浜の側へ行く。
西ではなく、東の空を見ながら飲む。
以下、写真日記で。