ボーマンはなだめすかして何とか発症せずに済む。
きょう土曜日は休養日とする。
きのう近鉄特急で読み終えた本。
南木佳士「山行記」(山と渓谷社)
ここ2週間、なにかのきっかけ(ネット情報だったか?)
で、この作家の小説を読もうと思った。
でも、恐ろしいことにそれが何だったのか忘れてしまった。
誰か知りませんか?
知ってたら教えて下さい。(笑)
図書館で「小屋を燃す」という短編集を借りようとして、
検索結果にあった同じ作家のこの「山行記」を借り、こっちを先に読んでしまった。
群馬出身、秋田大卒、(陸上800mの広田有紀選手の先輩!)、
入院患者を担当しない人間ドックや外来患者を受け持つようになったという。
その頃から若い頃に登っていた山にふたたび登るようになった。
1951年生まれだから今年で七十になる。
「ダイヤモンドダスト」「阿弥陀堂だより」などの著作があるが知らなかった。
「山行記」は還暦間近のころに書いたエッセイ。
冒頭にあった六十前になってノリで笠ヶ岳から槍ヶ岳へのテント縦走して難儀する話に惹かれた。
辛く長い山行、歩いているときに訪れる山登り独特のメンタリティを巧みに文章化してくれる。
ここ10年以上、テント縦走どころか最近はオートキャンプへも行ってない。
この本を読んで白山へ行こうと嫁を誘おうかと考えている。
南木佳士の文章、肌に合うので図書館で「草すべり その他の短編」を借りた。
気に入ったのでメルカリで中古の文庫本を購入した。
女優の市毛良枝さんが解説を書いていて、僕と同じところに感心したとある。
登山する人の気持ちをよくわかってるなと改めて感心した。
…自分と同等の体力の同行登山者に対して思う。
こういうのってほんとに山登り中の実感で、しんどい時はたいていこんなことを感じている。
丸ちゃんの足もとを見ながらいく。
登りが急になるとふいにスピードが落ち、着地の際に足首がぐらついてくる。
これならまた付いていけそうだ、と安心する。
他者の弱点を利用して生き延びる。
山では「わたし」のしたたかな本性があらわになり、
生きるための図太い思考の骨格がむき出しになる。
(中略)
他者の吐く弱音は「わたし」をすこしだけ楽にさせてくれる。
「わたし」なんて、こうして他者との関係性のあいだに浮かんでは消え、
状況次第でいかようにも相貌を変える雲みたいなものなのだ、との自覚が湧く。
…3000mを越えた山頂で同行の一人が寒がっている。
他の登山者は暑いと感じている。もしかして場所かなあと誰が言う。
うわあ、ここは風がつめてえと叫ぶ。
寒すぎたら、あるいは暑すぎたら、とりあえずその場から数歩だけ移動してみる、
というのは人生一般に応用出来る知恵かもしれないなと農鳥岳の教えを素直に受け止めた。
…山登りでは五感のセンサーが敏感になるという流れで。
ふだんはキーボードをたたいたり、箸で漬物をつまんだりしているだけの指が命を支える。
視聴覚に頼り過ぎて存在感を失いつつあるからだが、より確実な触覚の入力を要求する。
いま、ここにある実感を、触覚を介して確認したくなる。
南木氏はNHKの「ようこそ先輩」に出演した。
エンディングは自分の後ろ姿に吉田拓郎の「流星」をかけてくれるように要求したとある。
「流星」か…。
アニキの引退特番を思い出す。