近鉄特急で滞在時間45分の実家へマスク帰省。
阪神西宮→大阪難波→(ひのとり)→近鉄名古屋→(JR)→刈谷→(徒歩)→実家
帰りは名鉄で名古屋に出て、ひのとり ではなくアーバンライナーで帰阪。
ひのとりの車内でおにぎり弁当を食べてからじわじわとボーマンが寄せては返す波のように。
シリアスな状態にまではならず。
緊急事態宣言中の兵庫から同じく宣言下の愛知県へ何とか実家へ帰省を果たす。
愛知県とは言っても名古屋の都市部以外は多くて一桁の陽性者数らしい。
刈谷市は兵庫で言えば小野市とか赤穂市みたいな感じかな。
JR新快速で名古屋から刈谷へ向かう。
途中、大高の駅を通過する。
桶狭間の戦いで大高城を落としたのは誰だったか?
桶狭間には親戚がいる。
母の妹でまだ健在だ。
その叔母さんのご主人は国鉄マンだった。
リタイアしてから地元桶狭間の歴史ガイドをしていた。
今から10年ほど前までは七十代で元気だった。
僕はそのころ、まだ戦国時代の歴史に興味がなかった。
今ならぜひとも聞いとくべきだったなと思う。
人生にはタイミングは僕らが思ってる以上に重要なファクターだ。
タイミングひとつズレたら、乗るバスが一台遅れたら…。
人生はいつだって少しだけ間に合わない、と言ったのは映画監督の是枝さんだったか。
名古屋駅からまた近鉄、古いアーバンライナーで難波まで戻る。
ボーマンがしくしく痛み、とっとと帰宅。
何も食べずに寝た。