6月8日は京都小旅行の日、帰宅してからゆっくりとiMacに向かう。
撮ってきた写真の整理やら書き残していた日記やら。
最近は新聞をほとんど読まないのでインプットはネットからの情報と、
新聞を毎日読む嫁が興味を持った記事を、要領の得ない口伝で聞くことがメインだ。
で、きょうのネットから得た見識(情報)と、ネットで誘われた購買欲をいくつか。
サントリーのグレーンウイスキー知多のハイボールのCM動画を見る。
佐藤健とシム・ウンギョンがベランダ越しで乾杯する。
ディスタンス重視のいまを描いているのだろう。
そんなプレゼンが宣伝部の会議であったことは容易に想像出来る。
でも、気持ちいい映像でした。
ハイボールの正しい作り方、丸みを帯びたグラス、LPをかけるターンテーブル、
本棚の傍らに置かれた小さめのアコースティックギター、風にゆれるカーテン、
ボサノヴァっぽい曲、白いシャツ、ベランダの枯れかけたプラント…。
自然体に演技する(?)シム・ウンギョンがいい。
まんまとCMにからめとられて…、でも、知多は高いので、
僕がハイボールに最適だと思っているデュワーズ ホワイトラベル をマンダイで
買ってきて、ていねいに作った。
以前、オールド・パーのサイトで見たバーテンダーが薦める作り方と同じだった。
ハイボールをちゃんとしたウイスキーで、ちゃんと作ると、ちゃんと美味しかった。
サントリーに誘われて別の会社のウイスキー(スコッチ)を購入したという話。
購買欲ではなく、見識を得たというか、新たにしたのがこのブログ。
毎日更新、ほどよい長さで日常を綴ってくれる 毎日JogJob日誌 から。
少し前に坂本龍一さんが「音楽の力」という言葉がいちばん嫌いだと発言した(朝日新聞デジタル『「音楽の力」は一番嫌いな言葉 坂本龍一が抱くトラウマ』)。「音楽が癒しになる」とか「誰かの助けになる」というのはおこがましい。自分は子どもの頃から、ただ好きだから、楽しいからピアノを弾いて来たと。教授は「嫌悪感がある」とも言っている。そこにはおそらく「音楽の力」という言葉を中に、バカな大人たちがそれを何かに利用しようとする、インチキ臭い欺瞞性を感じるからだろう。今問題のオリンピックも同様だ。スポーツと言っても、突き詰めて言ってしまえばしょせんは「かけっこ」だったり「水遊び」だったり「ボール投げ」だったりする。だからこそ参加する選手は苦悩する。自分たちのやってることは、社会に直接的に役に立つものではない。芸術家もアスリートも、その無力さといかに立ち向かうかを常に突き付けられている人々だ。しかしだからこそ、我々はそこに研ぎ澄まされた美しさを見る。すべての社会性や損得、利益や経済を超越したところに成立するから、人を魅了するのだと思う。
ついでに思うのは「○○を元気にする」という言い方も垢がこびりついていて嫌だ。
そのまたついでに思うのはオリンピックを五輪というのも字数制限の意図はわかるが、
なんだか生理的に好きになれない。
ナレーション原稿に「五輪が…」とあると即座に改訂する。
蓮実重彦氏がこんなことを書いている。
東京オリンピックは2020のみならず1964もたいがいロクなものではなかった!?
どちらかといえばスポーツが好きな人間なので、オリンピックという何やら禍々しい国家的な行事にはあまり関心が向かない。だからといって、その開催に断乎反対というほどの強い執着を持っているわけでもない。やりたい奴がいるなら勝手にやればよろしいというだけの話である。ただ、少なからず存在しているオリンピックへの無関心層を、「日の丸=君が代」騒動に巻き込むなとだけはいっておきたい。その思いは、例えばサッカーのワールドカップについてもいえることで、国を背負って優劣を競いあう競技などと、選手たちがそれを意識した瞬間にスポーツであることをやめてしまう。
85歳が一刀両断にする「そんなものはどーでもよろしい」と。
喉にたまっていてものがストンと解消される。
最後に、こちらも愛読しているブログ「一日の王」から。
日本は、国民を、なかなか“高齢者”にしてくれない国である。
“老人”にさせてくれない国である。
国策で、「人生100年時代」などと嘘のキャンペーンを繰り広げ、
年金支給年齢を遅らせ、
いつまでも馬車馬のように働かせ、
年貢(税金)を納めさせようとする。
私の独自調査では、
日本人は60歳までに約1割が亡くなる。
男性は女性よりも寿命が短いので、男性だけに限って言うと、
70歳までに約2割が亡くなる。
5人に1人は70歳まで生きられないのである。
80歳までに約4割が亡くなり、
90歳までに約8割が亡くなる。
そう、60歳からは倍々ゲームで亡くなっていくのである。
70歳を過ぎれば体は次第に動かなくなるし、
80歳以降は、もし生きていたとしても、3人に1人は認知症で、
90歳を超えると、大抵は寝たきりである。
私の父は、80歳で認知症になり、90歳で亡くなった。
私の母は、85歳で認知症になり、90歳で亡くなった。
私がもし80代まで生きることができたとしても、
両親と同じような道を歩む筈である。
「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」のダーツの旅や、
「鶴瓶の家族に乾杯」などに出てくる元気な90歳超えの老人たちを見て、
〈本当に「人生100年時代」が訪れたのだな~〉
などと呑気に考える人が(もし)いたとしたら、
その人は大変な“お目出たき人”である。
大抵の90歳超えの老人たちは施設や病院におり、
人目に触れないだけなのである。アンチエイジングにはまったく興味がなく、
私のように、(むしろ)早く“老人”になりたい者にとっては、
60歳から64歳までは、
中年でもなく、高齢者でもなく、
公私ともに、(精神的にも肉体的にも)実に不安定な時期であった。
だが、65歳になり、「前期高齢者」を名乗れるようになってからは、
このブログでも「前期高齢者」と公言するようになり、
“老人”として堂々と行動できるようになった。(笑)
嬉しい限りである。
日本人は60歳までに約1割が亡くなる。
身の回りだけの世界だけど、この5年くらいで還暦を迎えられずに亡くなった人は、
ポスプロのU氏、事業のY氏、熊本に出向してたH氏、その前の数年でも数人いる。
約1割って数字は外れてはいない。
70歳までに約2割が亡くなる。
5人に1人は70歳まで生きられないのである。
80歳までに約4割が亡くなり、
90歳までに約8割が亡くなる。
そう、60歳からは倍々ゲームで亡くなっていくのである。
余命3ヶ月システムはあながち間違ってはないなあ。
大事に与えられた時間を生きましょう。
そういえば僕も来年で前期高齢者になる。
高齢者ワクチン接種の対象でもあって、かかりつけ医で予約しておいたが、まだ決まらない。
決して急いではいないが、先月から何の連絡もない。
いろいろあって、そのクリニックの事務対応(医師)をあまり信用してない。
少し遅くなっても内視鏡検査のクリニックに変更しようかと思っている。