彦根から米原、米原から豊橋行きの新快速につなぐ。
大垣で乗り換えずにそのまま刈谷まで行けるのです。
13時過ぎに刈谷に着く。
青山斎園まで片道3キロ、往復6キロ。
観光協会で無料で電動アシスト自転車が借りられるのは28日までだった。
歩けないことはないけど…、タクシーに乗ればいいけど…。
駅前にタイムズカーシェアがあったのでショートで借りる。
ポイントを貯めてクーポンが1時間分あるし。
刈谷駅からちょっと歩いた賃貸住宅の隣りの駐車場に予約したソリオがあった。
ナビに従って10分ほどで青山斎園に到着。
途中の道路はトヨタ車体、アイシン精機、ジェイテクトの敷地の中を通っている。
デンソー、トヨタ紡織、豊田自動織機の工場も近い。
昔の工場は油と煙や埃できれいじゃなかったが、今は大学や病院みたいだ。
こんな記事があった。
トヨタ系の大企業の企業城下町だから税収が豊かでインフラが整っているからだろうか?
昔はブルーカラーの工場都市で空気が悪かった記憶しかない。
塩田家は昔はお墓があったはずだったが、今はない。
いつどういう経緯でなくなったのか、僕は19歳で刈谷を出たのでわからない。
父親、父方の祖父と祖母の3人の遺骨は納骨壇に入っている。
納骨壇はロッカーみたいなものだ。
僕の姓は塩田だが、両親は僕が高校生のときに離婚して塩田家から籍は外れた。
母方の籍にはいったのだ。
母や子供の名字が変わるのは可哀想だと旧姓に戻らなかった。
旧姓は日谷という。
母が世帯主で僕ら子供が扶養家族となり“新・塩田家” となった。
その後、戸籍が別となった“旧・塩田家” の3人が亡くなり、父の次兄が納骨壇に収めた。
その次兄も、その次の塩田家の分家の世帯主も亡くなっていく。
父は兄弟が多かったが、籍を抜けた僕らとはあまりつき合いがなくなった。
10年ほど前に納骨壇の管理者だった父の次兄がなくなり使用管理者を受け継ぐときに、
同じ刈谷に住む僕の母親に管理を引き継いで欲しいと“旧・塩田家”から話があった。
管理するだけなら、と母は承諾したが八十近い高齢だったので僕にその任が回ってきた。
そのときに書類を書いて提出したが、そのことを僕は失念していた。
今年の秋に刈谷市の市民課から封筒が届いた。
「納骨壇の使用期限30年を超えたので、新たに更新するか、遺骨や位牌を引き取ってくれ」
とのことだった。
新たに30年更新するには26万円かかるとのこと。
30年後なんて、僕も死んでると思う。
生きていても90歳以上、更新手続きなんて出来ないだろう。
かといって、このお墓(納骨壇)に僕や母が入る場所ではない。
名前は“新・塩田家” だが、実際には日谷家なのだ。
さて、どうする?
先週、妹宅に帰り、末の妹と相談して1年だけ更新しよう。
その間に“新・塩田家” の人に連絡してどうするかを決めようということになった。
いずれはどこかのお寺に永代供養した方がいいと思うが、無断では出来ないだろう。
塩田家の人で誰がご存命なのかわからない。
みんな八十近い高齢だろうけど、その息子さんがいるかもしれない。
今回は11000円で更新して先送りにした。
そんな顚末。
暮れの30日だが、青山斎園では告別式が行われていた。
更新手続きの書類が出来る間、カギを借りて納骨壇で3人の遺骨に会った。
さんざん母を苦しめた父はともかく祖父と祖母にはかわいがってもらった思い出しかない。