きょうからまた仕事です。
月火と映画を一本ずつ見たので今日はステイホームでのんびりしたいところ。
何を贅沢なことほざいてるのか、と僕が他者として自分を見たらたら叱責してる状況。
九州は家を失った人たちがいるというのに…。
このあたりも夜半にかなりの雨量があったようだ。
風もあったのか、室内まで吹き込んで玄関に水たまりが出来ている。
朝には雨が上がっていた。
ヒロが「湿度70パーセントを下回ったのは数日ぶり」という。
湿度計を見ると69%だった。
クマゼミが鳴く。
梅雨明けか? と思ったが近年はそういう歳時記ではなくなっている。
クマゼミが鳴いても梅雨は明けない季節進行になっている。
日本の四季も狂ってきたことを改めて感じる。
マスクをして、いつもより早めに家を出る。
雨でJRのダイヤが乱れている。
九州新幹線は運転見合わせ、このあたりも軒並み遅れている。
大阪駅のホームが渋滞で手前で20分ほど待たされる。
きょうはポスプロ編集。
5時過ぎには終わる。
内科クリニックへ行こう。
西宮駅に着いてから予約の電話を入れる。
雨の中、自転車をさくら夙川まで走らせる。
5月の血液検査は血糖値は概ねOK、尿酸値とコレステロールが少しオーバー。
コレステロールは食事の内容に問題があるのだと思う。
このところ無反省に揚げものを食べている。
それと卵料理も。
それを控えたら正常値に戻ると思う。
というか、控えて戻せ。
といいつつ帰りに「もっこす西宮店」で中華そばを食べる。
きのう深夜番組でバナナマン日村が神戸のもっこすで食べていたのが美味しそうだった。
愛読して、メルカリでもコピー版を買った「平民新聞」の平民金子氏も美味しいと食べていた。
中華そば800円、シンプルな醤油ベースの豚骨スープ。
ラーメンはこういうのがいいな。
雨は降ったり止んだり。
蔵の取り壊しでまもなく消える予定の白鹿のネオン看板を撮る。
1969年からの歴史に幕を引く。
大阪万博の前の年、僕はまだ中1だった。
中坊が青年期を通り過ぎ壮年期も終えて初老のおっさんになってしまった。
そう思うと感慨深いよなあ。
どこからでも目立つ直径10.44メートルの大看板。
辰馬本家酒造によると、大看板は1969年に設置された。直径は10・44メートルあり、視界の開けた場所だと遠くからでもよく目立つ。夕暮れになるとネオンがともされ、西宮の夜景に彩りを添えてきた。
戎蔵の解体後、別の場所に移してオブジェとして展示できないか検討したが、サイズや色などが市の屋外広告物条例に適合しない上、大きすぎて保管場所も確保できないことから、完全撤去を決めたという。
戎蔵の解体工事は来年11月末まで。跡地の利用法は決まっていない。同社の担当者は「西宮出身の遠方の方から『この大看板を見ると、ふるさとに帰ってきたとしみじみ感じる』と言っていただいたこともある。多くの方に愛されていただけに、我々にとっても残念です」と話す。
辰馬本家酒造によると、大看板は1969年に設置された。直径は10・44メートルあり、視界の開けた場所だと遠くからでもよく目立つ。夕暮れになるとネオンがともされ、西宮の夜景に彩りを添えてきた。
戎蔵の解体後、別の場所に移してオブジェとして展示できないか検討したが、サイズや色などが市の屋外広告物条例に適合しない上、大きすぎて保管場所も確保できないことから、完全撤去を決めたという。
戎蔵の解体工事は来年11月末まで。跡地の利用法は決まっていない。同社の担当者は「西宮出身の遠方の方から『この大看板を見ると、ふるさとに帰ってきたとしみじみ感じる』と言っていただいたこともある。多くの方に愛されていただけに、我々にとっても残念です」と話す。
辰馬本家酒造によると、大看板は1969年に設置された。直径は10・44メートルあり、視界の開けた場所だと遠くからでもよく目立つ。夕暮れになるとネオンがともされ、西宮の夜景に彩りを添えてきた。
戎蔵の解体後、別の場所に移してオブジェとして展示できないか検討したが、サイズや色などが市の屋外広告物条例に適合しない上、大きすぎて保管場所も確保できないことから、完全撤去を決めたという。
戎蔵の解体工事は来年11月末まで。跡地の利用法は決まっていない。同社の担当者は「西宮出身の遠方の方から『この大看板を見ると、ふるさとに帰ってきたとしみじみ感じる』と言っていただいたこともある。多くの方に愛されていただけに、我々にとっても残念です」と話す。
都知事選で小池百合子が再選。
驚いたことに差別主義者の候補に12万票も入っている。
若い層が多いという。
これだけは暗澹たる気分になる。
今夜もプールへ行く。
帰宅してamazonプライムで「500ページの夢の束」を半分ほど見る。
首都圏を中心にコロナ感染者が増えていく。