「沈黙の春」というレイチェル・カーソンの著作がある。
環境汚染が進めば、鳥のさえずりも生物の気配もない春になるという警告の書。
2020年は果たして沈黙の春となった。
ライブ音楽も、スポーツの歓声も聞こえない。
ただ鳥たちは鳴き、花は咲く。
ご飯を食べたり、本を読んだりしてて思う。
いつか何かが機能停止になりそうな予感がする。
現に耳は遠くなって、歯は半分近くが自分のものではない。
脳は大丈夫か、とドキドキしている。
ときどきフリーズする自覚もあり。
思ったことがスルスルと言葉にならないイライラ感。
考えるより速く言葉になってた頃があった。
雲底の差。
それと検索エンジンの書きこみ書き出し機能の劣化。
なにも憶えられない。
何も思い出せない。
脳が身動きとれずにいて、それがある種の苦痛。
たとえると “脳の肩凝り” みたいな。
十年前はどうだったのか?
二十年前はこの種の苦痛があったのか?
確かに若い頃は映画監督、主演助演の名前、背景、プロットがすぐに脳に記憶された。
しばらくは消えなかったと思う。
とあることから遠藤周作の時代小説を読んでいる。
面白い。
遠藤周作って「白い人黄色い人」って読んでるはず。
ところが中身をまったく思い出せない。
白い人はフランスのナチス時代が舞台であることは何となくわかる。
黄色い人は全く思い出せない。
「私が棄てた女」も読んでて映画かドラマを観た。
内容は想像はつくが思い出せない。
同年輩の人、たとえばヒロにその手の質問をよくするけど僕より憶えている。
京橋(大阪城)からスタートして海老江までJR東西線5駅分をジョギングする。