ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2019/12/11 Wed. 溜飲は下がっても…。

ヒロが甥っ子の弁当と朝ごはんを作る。

6時過ぎに目が醒めてしまうが二度寝する。

7時過ぎに起床、ドタバタと甥が僕の通勤自転車で出て行く。

冬めいた灰色の朝。

きょうは最優先で12月いっぱいに出来ること、TO-DOリストの更新とスケジュール決めをする。

合間にラジオ体操第一を入れる。

今回のTO-DO設定、冒頭のメモにこう書いた。

 2019年はあと3週間で終わる。

終わりよければ始めよし。

良い準備は気持ちいいスタートを生む。

設定を欲張らず、達成率98%を狙う。

31日、大晦日の朝は気持ちよく10キロジョグをして締められるように。

 

記事アップ、ポスプロチェック、徳田立ち吞み、尼崎ユニクロ、ハヤシライス少々。

「ひとキャン」2話分観て、You-Tubeの焚き火とウイスキー。

 

        *  *  *

  

 ※ AERA 2019年12月16日号 巻頭コラム(内田樹)より

 

「桜を見る会」の話を書く。私自身いい加減この話題にも飽きているのだが、

まさに「国民がこの話題に飽きて、忘れること」を官邸が専一的にめざしている以上、

その手に乗るわけにゆかない。

 

この事件には現代日本社会の致命的欠陥がいくつも露出している。

もちろん、どんな社会にも欠点はある。完全な社会など存在しない。

けれども、その疾病を観察し、診断を下して、適切な治療を始めないと、

生物の場合は、病が亢進(こうしん)して、やがて壊死(えし)が全身に及ぶ。

社会も同じである。どこかに欠陥があるのは当たり前のことだが、それを放置し、

致命的な疾患が全身に及ぶのを手をつかねてぼんやり眺めているのは異常である。

そして、今の日本は異常である。

 

メディアは相変わらず「野党が反発」とか「官邸、逃げ切りをはかる」とか

まるで自然現象でも記述しているような他人行儀な筆法を採用しているが、

中立性を偽装するのはもうやめて欲しい。

ことは総理大臣が公選法違反、政治資金規正法違反の疑いをもたれているというレベルの話ではない。

問題の真相を示すはずの公文書がことごとく廃棄され、疑惑の出来事について

「ほんとうはそこで何があったのか」を誰も言うことができないという状況が

官邸主導で創り出されたのである。

メディアの「やる気のなさ」と、その「成果」としての内閣支持率の堅調ぶりに私は驚嘆する。

 

ネットでは、富裕者を批判すると

「そういうことは年収がそのレベルになってから言え」、

有名ユーチューバーを批判すると「そういうことは再生数がそのレベルになってから言え」

というタイプの冷笑が定型化している。

どうやら「力のない人間は力のある人間を批判する権利がない」ということが

現代日本の新たな「道徳」になったらしい。

 

今日本では、「権力者はどんな不正を働いても、決して処罰されることがない」という

「新しいルール」を多くの日本国民が黙って受け入れ始めている。

私はこれを国家的危機だと思う。厳密に言えば、

「国家の存亡にかかわる危機」として感じられない病的な鈍感さを国家的危機だと思う。

このままでは日本社会はどこまで腐るかわからない。

 

        *  *  *

 

内田先生のこういう言説を読むといつも溜飲が下がる。

すとんと腑に落ちる感じがして気持ちいい。

先生は、もうこの国は衰退期にある、という主張が強すぎて若い人にとっては

やるかたない思いをする人もいるかもしれないけど。

確かに、そうそうなんですよ、と溜飲が下がる。

しかし、書いてある状況は看過できない。

一番イヤなのは改憲主張よりもこの嘘つき体質が我慢ならない。

やり口、人間性だ。

それが自分の所属する共同体の首長であることを。

正直言えばサイテーなことしてるサイテーな政権なのに支持率が高かったりする。

なんて居心地が悪いのだろう。

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自宅で薪ストーブの前でウイスキータイム

なんちゃってキャンプ酒。

三浦貴大ともうひとりの主人公 夏帆、彼女といっしょ吞んだら楽しいだろうな。

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