取材申請とか、宿泊する時とかに自分の年齢を書くことがある。
たいていはうんざりするけど、ときには…おお、よくぞここまで生きたと思う。
自分も六十四なんてこんな年齢、壮年はとうに過ぎ、良くいえば初老、
世間的に言えば…還暦過ぎのじいさんになってしまった。
けれど、自分もこんなトシまでそこそこ幸せに生きてられるんだと正直思います。
ジタバタと、諦念が共存してるこんな年齢の自分を想像しようにも出来なかった。
朝イチで訃報を目にした。
隆大介さん死去 個性派俳優 「影武者」でブルーリボン賞新人賞(スポーツ報知)
隆大介さんという俳優は顔と名前が一致しないほどだが、キャリアを見ると何度か
映画やドラマで見たことのある人、4月11日、死因は頭蓋内出血で享年六十四だった。
同い年で、脳溢血か……心配してる疾患だけにぞっとする。
プロフィールを見てギョっとした。
生年月日が1957年2月14日とある。
僕と同じ、1957年の冬のその日に生まれた人だったのだ…。
名前と顔が一致しなかった隆さんに、よくがんばったね、と声をかけたくなった。
なんか変ですが…よくぞこのトシまで生きてきたね、と。
隆さんは経歴を見ると波乱の生涯だったようだけど、まったく同じ時代を生きてきた。
小学2年生で東京オリンピックを見て、32歳で昭和の終わりを迎え、
同じ年齢で1.17や9.11や3.11が通り過ぎていった。
隆大介と塩田博、全く面識のない二人だけど、同じ駅から同じ列車に同時に乗み、
つい最近、隆さんは「お先に」と列車を降りていった。
突然、勝手にそんな喪失感を抱いてしまった朝でした。
半袖Tシャツ、短パン、薄いウインドブレーカーで走る。
陽を浴びて走るとすぐに汗ばむくらいの気温になってきた。
平日、金曜日の午前9時、海辺にほとんど人がいない。
金曜日はフライデーハイクの日…のはず、天気もいいのに出かけず。
昨日、住吉大社へ行ったりして、少し疲れたので休養日とする。
お気楽なものだが、コロナ禍に無理は禁物、不急不要な外出はするが無理はしない。
無理して体調を崩したりすると
3回目の緊急事態宣言が出るらしくメンタルざわつき、そのことにムカつく。
自分の行動は自分で決める、と宣言しておきながら情けない。
ゴールデンウイークのほとんどの楽しみがまた奪われる。
普段から遊んで暮らしている僕でさえ腹が立つのだから、
せっかくの休みを台無しにされた働き者の人たちの落胆は大きいだろうなと思う。
「なんて言ったっけな、あそこの知事さん」と会見で吉村知事のことを揶揄した
麻生太郎財務大臣の会見にはちょっと笑った。苦笑まじりで。
でも、大阪の医療崩壊危機は維新政権で福祉厚生予算が削られ、公立の病院の人べらし
さらに看護師の給与が下げられたことと決して無関係ではない。
オール讀物の池波正太郎特集で「池波さんに教わったこと」という座談会に
眼鏡堂氏が池波チルドレンとして参加した。
この仕事をきっかけに「真田太平記」全12巻を完読したそうで、
真田父子が九度山に幽閉されている段を読んでいる頃に、大阪城歩きを誘ったのは
不肖ぷよねこであることを明記しておきます。
眼鏡堂氏以外の二人 真山仁、今村翔吾は関西生まれ。
鼎談の中で36歳の 今村翔吾氏が若い頃から池波が好き過ぎて、中学までにすべての作
を読み終えてしまい、エッセイを読み始めたら作法まで真似したくなり、高校の卒業旅
行で泊まった旅館の仲居さんにポチ袋を渡したというエピソードに笑った。
帰り際ではなく最初に渡したら仲居さんに「ご両親が立派な教育されてるんですね」
言われ、「いえ、池波先生の教育です」と。
今村氏は元ダンスインストラクターって異色すぎる。
この人、松永久秀の「じんかん」を書いた作家さんなんですね。
「じんかん」読みたくて図書館に予約してるけどまだ順番が来ない。
不肖ぷよねこ、齢六十四にして池波童貞でして一冊も読んだことがありません。
「散歩のとき…」という食のエッセイを好きなとこだけパラ読みしたのみ。
家には池波本が何冊かありますが、すべてヒロの持参したものでして、
彼女は剣客、梅安、鬼平と順番に読んで、鬼平のファンだそうな。
池波童貞を告白したら氏が「六十四から読める。最高じゃないですか」と返信届く。
あの面白い本をまだ知らない!
嫉妬にも似たその感覚わかります。
司馬遼太郎を読み始めたのも五十代後半、同名の映画とセルジオ氏の指南もあり
「関ヶ原」上中下からでした。
そういえば上野氏も池波正太郎の聖地巡礼みたいなムックに関わっていた。
さて、何から読み始めるかな?
きょうはノンアルコールビールで。キリンの「ゼロ壱」という銘柄。