青春18きっぷが一枚だけ残っていたので午後から東へ行く電車に乗る。
当初はこの一枚でまた遠出しようと企んでいた。
岡山の伯備線で備中高梁の備中松山城(山城)か、姫新線に乗って津山へ行くか。
いずれにしても早朝出発になる。
昨日の豚肉の買いものの失敗でヒロの機嫌が悪く早朝の朝ごはんは頼みづらくなった。
要らないと言えばいいし、早朝なら食欲もないので食べなくてもいい。
そう言えばいいのに言い出せなかった。
ま、中一日での遠出は身体に負担がかかるしやめとこうか、と無駄にしてもいいかと思ってた。
今朝、起きると機嫌が直っていた。
「今日は行かへんの?」というので思わず口に出た。
「午後からちょっと雪積もってるとこくらまで行ってドン着いて戻ってくる」
なんだか情けなく、このご時世に何してんだと思われるでしょうが、初老の夫婦はこんなもんです。
改めて、冬の青春18きっぷ Day5です。
これで8回分(5枚のフルセットとフリマで買った3回分)を使い切る。
“雪を見よう” をテーマに決めて漠然と湖西線のどこかの駅を目指す。
西宮駅を出たのは午後一時前、車中で思いついて長岡京駅で途中下車。
明智光秀が山崎の戦いに敗れて立ち寄った勝竜寺城へ行ってみた。
見終わったら3時前、京都へ出て湖西線に乗り換える。
沿線は大雪かも?と思ったが平地に雪はなかった。
比良の山は積もっていたが真っ白ではない。
対岸の湖東、湖北の山々の方が雪が多そうに見える。
近江高島あたりからホームに少し雪が残っていた。
終点の近江今津まで行く。
湖岸が近い。
竹生島への観光船が出る今津港まで歩く。
何年か前に若狭でハーフマラソンを走った帰りに小浜からバスで山越えしてこの近江今津へ着いた。
近江今津の港に停泊していた高速艇「いんたーらーけん」は別名 びわこ光秀号 と呼ばれている。
おお、ここでも光秀か!?
水色桔梗の家紋がある。
*写真をクリックすると拡大します。
われはわれは湖の子 さすらいの旅にしあれば しみじみと
旧制三高の琵琶湖周航の基地がこの今津で、かの歌はここで生まれたことを知る。
そういえば歌詞に…、
ゆくえ定めぬ なみ枕 今日は今津か 長浜か というのがあったなあ。
折しも日没、比良の山に沈む夕陽が対岸の鈴鹿や伊吹を紅に染める。
🎵 古城にひとり佇めば 比良も伊吹も 夢のごと
湖岸に佇んでいるとコロナなんて別世界の出来事のように思える。
西宮を午後に出て普通電車で2時間半でこんな景色が見られるなんて。
思惑通り湖西線は空いてて一両ごと独占状態。
近江今津発17時07分の播州赤穂行き新快速に乗る。
六角精二ばりに吞み鉄しながらのんびり帰った。
飲んだのは年末に同じく18きっぷで訪ねた尾張の半田で買った純米吟醸でした。
以下、また写真日記で。
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「麒麟が来る」ブームなのかどうかは別として、明智十兵衛の足跡を辿るのは面白い。
歴史探訪も主役を立てないと間口が広すぎて散漫になってしまう。
勝竜寺城という城があるというのを何で知ったのかは忘れてしまった。
天正十年、本能寺の変のあと、秀吉と山崎の戦いで敗れる。
光秀が逃げこんだのは勝竜寺城、ここは細川氏の城で愛娘のたま(細川ガラシャ)の嫁ぎ先だった。
やがて秀吉の軍勢が迫る。
光秀は近江の坂本城へ籠城しようとこの勝竜寺城の北門から逃れる。
そして、永遠に坂本城へ戻ることは叶わなかった。
と、勝竜寺城はそういう場所だ。
長岡京の駅で下りたことは記憶にない。
都が平城京から平安京へ移る間、つかのま日本の首都だった。
サントリービールの大きな工場がある。
それくらいしか知識がない。
「麒麟が来る」で勝竜寺城公園への案内はしっかりある。
案内に従って駅の東側に出る。
長岡京駅はかつて神足駅(こうたり)だったと案内に書いてあった。
駅前にどーんと高層ビルがある。
クリスタルのビルに NURATA とある。
村田製作所はここだったのか。
島津製作所、ワコール、任天堂、ロームなどと並んで京都の地元企業の大手。
電子部品メーカー、確かロボットも作っていたはず。
案内に従い南へ。
大きな工場の門を過ぎると勝竜寺城の入り口、土塁の跡がある。
3メートルくらいの土塁、真ん中に狭い通路があるだけ。
そこに敵をおびきよせて攻撃を加えるという構造。
自分が敵兵になったと想像してみる。
指揮官に 行け! と命令される。
行ったら当たり前のように殺されるやん。
お前が先に行けや、とも言えず。
冬のひだまりで土塁を見ながらそんなことを考える。
ローソンで酒のつまみを買う。
やがて勝竜寺城の本丸と堀が見えてきた。
長岡京から京都へ上がる。
京都駅に近江今津行きの快速が待っていた。
*画像クリックで拡大します。