ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2020/08/11 Wed. #2『秋刀魚の味』

実は観てない映画10本 の二本目です。

小津安二郎監督『秋刀魚の味』(1962年)1時間52分 

 

平山は妻に先立たれ、家事一切を娘の路子に頼っていた。同窓会に出席した彼は、酩酊した恩師を送っていく。そこで会ったのは、やもめの父の世話に追われ、婚期を逃がした恩師の娘。平山は路子の縁談を真剣に考えるようになる。これまでに小津安二郎が一貫して描いてきた、妻に先立たれた初老の父親と婚期を迎えた娘との関わりが、娘を嫁がせた父親の「老い」と「孤独」というテーマと共に描かれている。この作品を発表した翌年1963年、小津監督は60歳の誕生日に亡くなったため、この作品が遺作となった。

 

 1962年(昭和37年)、僕はチコちゃんと同じ5歳だった。

東京オリンピックの2年間、この頃から東京の街が変貌する時代。

映画の中に登場する団地は当時、中流家庭の象徴、あこがれの住まいだった。

僕が当時観た映画は怪獣映画くらいだろうか。

その年の配給収入トップは黒澤映画の「天国と地獄」、以下は東映の時代劇。

4位の「キングコング対ゴジラ」を観た記憶がある。あれは5歳だったのか…。

松竹映画はベスト10にも入っていない。もちろん「秋刀魚の味」も。   「秋刀魚の味」予告編

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総評として…。

小津安二郎の映画は名画座で「東京物語」の一本しか見ていない。

恋愛劇でもなく、歴史ものでもなく、時代劇でもなく、戦争ものでもなく、犯罪ものでもなく、

正真正銘のホームドラマ、家庭劇である。

劇であるとはいえ、想像してた通りに劇的な事件などは全く起こらない。

今で言えば企画段階でハネられても仕方ない。

どうしてエンターテイメントとして成立するのか不思議でもある。

そう疑惑の目で見始めた。

…なるほど、面白いかどうかは別にして、確かに見続けてしまう魅力がこの映画にはある。

こころのどこかにじんわり後味が残る。

誤解を恐れずに言えば、この映画の同じ時代、その延長線上を生きてきた日本人として、滲みる。

 

そうか…是枝裕和作品や、橋口亮輔作品は小津映画の系譜なんだなと思った。

 

以下、ランダムに…。

 

見落としてたのかも知れないが、映画に “秋刀魚” は出てこなかった。

秋刀魚の味は、日常当たり前のように美味しい。

それがふいとしたことで消えていく、というメタファーだったのか。

おいしくて、しょっぱくて、苦いのが人生だと。

 

冒頭、主人公の平山(笠智衆)が働くのは大きな化学工場。

高度成長期が始まっている。

川崎あたりだろうか、それとも大田区あたり?

たまたま友人の河合(中村伸郎)が尋ねてきて、平山が飲みに誘う。

河合は大洋阪神戦のナイターを見に来たついでに立ち寄ったらしい。

しつこく誘う平山。

次のシーンでテレビジョンに映るプロ野球中継。

おそらく川崎球場の大洋阪神戦。

満員の川崎球場!!!

四番桑田がバッターボックスに入るところが映し出される。

阪神のピッチャーはジーン・バッキー。

黒澤明の「野良犬」でも巨人と南海の日本シリーズが映画の舞台になっていた。

あの頃の野球と相撲は国民的娯楽の王様だった。 

 

動かないカメラは落ち着いて見ていられる。

その分、じっと登場人物の心の奥まで探るように見る。

小津監督が酒好きだったそうで、この映画にも酒を飲むシーンが頻繁に出てくる。

最初は瓶ビール。

お、サッポロ赤星だ!

サッポロラガー、ここ10年ほどで関西のどこの店でも飲めるようになったが、

僕らがビールを飲みはじめた頃は見たことなかった。

そうか、東京では当たり前のように飲んでたんだ。

だったらアサヒもスーパードライなんて出さずにかつてのラガーを再販売して欲しい。

 

主人公平山も、友人の河合も堀江も50代前半か。

平山も河合も堀江も会社では重役のようだ。

昭和37年、終戦から15年後、彼らは20代後半から30代で戦争へ行ってた世代で生き残りだ。

平山は駆逐艦の艦長だった。

乗組員で、今は整備工場をやっている男(加藤大介)に誘われトリスバーへ行く。

加藤が言う。

「日本が勝ってたら今頃われわれはニューヨークですよ」

昭和30年代、そんな会話は普通にあったのだろうな。

「瓶ごと持って来て」

トリスをショットグラスでストレートで飲んでいた。

そういえば僕の実家は商店街あって映画館へ通じる裏路地にトリスバーがあった。

子供は近づいちゃいけない場所だったけど。

どんな店だったのだろう?

もちろんトリスバーも映画館も路地もみんなこの世から消えてしまった。

 

「そろそろお嫁に行かせた方がいいよ」

「そうか、お嫁に行かせた方がいいか」

こんなふうに繰り返す台詞が頻出、思わず笑ってしまう。

 

何より画面に映し出される風景に惹かれる。

街は撮影所に組まれたセットだろうけど。

当時の日本、オリンピック以前の東京は、いまの韓国より、いまの中国よりも異国だ。

ストーリーやテーマなんてなんでもいいや。

何も起こらないけど、見ているだけで自分が微笑んでいる。

 

路子役の岩下志麻が若くて美人。

強気でいて、いじらしくも、可憐。

好きな人がいて、結局振られてしまうのです。

24歳で嫁に行くという設定。

若いなと思ったが自分の母も24歳で僕を産んでいるのだった。

結婚したのは22歳くらいだろうか。

こんど聞いてみよう。

 

兄が佐田啓二、この人の映画を見るのは「喜びも悲しみも幾年月」以来か。

交通事故で37歳で夭逝してしまった。

兄の嫁が岡田茉莉子だった。

長男は家を出て、当時先端の鉄筋コンクリートの団地に住んでいる。

嫁の岡田茉莉子は仕事を持っている。

路子(岩下志麻)も会社勤めのOLだ。

東京の中流家庭。 

佐田啓二は友人からのお下がりのゴルフクラブを持ち帰ってくる。

嫁はそんなもの買う余裕はないと言う。

これいいんだよなあ、マクラーレンだもの。

結局、毎月2000円の月賦で買うことになる。

これが当時の日本の中流だったのだ。

 

「秋刀魚の味」は白黒だった「晩春」(1949年)のカラーリメイクらしい。 

 60歳間近の小津監督の遺作となった。 

 

平山らの中学の恩師 東野栄二郎は退職教師、

今では行き遅れた娘と細々と町中華をやっている。

酒好きで人のいい人物を好演していた。

こんな人いたいた。

酌をされると断れない酒好きな老人。

 

巷でこんな家庭ドラマがあった。

一方で、奥田英朗の犯罪小説「罪の轍」も同じ時代を描いている。

東京に出稼ぎに来た地方出身者は東京でも故郷でも貧しかった。

 

最後に…映画の中で何度も使われる音楽がいいんです。

戦後日本の幸福感とさみしさを織り交ぜたようなポルカ。(1分40秒あたりから)

見終わってこれを聞いてたら目頭が熱くなった。

(決して号泣だなんて書かないよ)

 

   www.youtube.com

ネットで小津作品を観ていたら美しい人が目に止まった。

デビュー当時の有馬稲子だ。

「彼岸花」「東京暮色」をウォッチリストに入れた。

 

 

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「東京暮色」の有馬稲子

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有馬稲子さん、現在もご存命です。