家ごもりの日曜日、TODOをこなす合間に久々にスポーツ映像を堪能した。
観たのはニュージランドで再開したスーパーラグビーのライブ中継(観たのは録画)と、
amazonプライムで市川崑「東京オリンピック」(1964年)の美味しいとこだけを観た。
56年前の「東京オリンピック」
眼鏡堂氏から送られてきた100mスタート前の映像がきっかけ。
木槌でスタブロを止める音と追い詰められたような顔をした選手達のクローズアップ。
国立のトラックは赤土だ。
100mのヘイズ、10000m最終ラップ、クラーク、ガムーディ、そして、ビリー・ミルズのまくり、
棒高跳びハンセン vs.ラインハルトの夜、女子バレーのリスカルと大松監督、依田郁子の逆立ち、
モダンジャズの自転車レース、マラソン、アベベとクラークとシュトーとヒートリーと円谷幸吉、
三宅義信、遠藤幸雄、小野喬、チャスラフスカ、ヘーシンク、すべてが1964のアイコン。
今、たまたま陸上女子800mの動画コンテンツに関わっている。
自分が主体ではなく、あくまでアドバイザーとしてだけど。
東京1964で800mといえば…というか彼女が800mを走ったのか、400mを走ったのか、
あるいは跳躍や投てきの選手だったのかは失念していたのだが、アン・パッカーを思い出す。
恋人のもとに駆け寄り抱きつく美人の金メダリスト、
当時アジアの中進国だった日本。眩しすぎる映画のようなワンシーンでした。
市川崑の映画にもその場面が映された。
女子800m決勝、スタートラインに立つ各国の選手たちは美人揃い。
市川崑もこの美貌に惹かれたのかも。
実況アナウンスがかぶさる。
「8コースイギリスの体操教師22歳のパッカー、7コースニュージーランド チェンバレン、アキレス腱の故障が治りました。6コースはイギリスのスミスであります。5コース赤いユニフォーム少年のような美少女ソビエトのエリク、4コースはオランダ31歳の婦人警官クラーン、3コースがドイツのブライヒフェルト(このとき統一ドイツで参加してたのでした)、2コースフランスのディブリエ 2つになる坊やがいます1コースはハンガリーのサボーであります、以上8人の選手」
号砲が鳴る。
レースのことは全く記憶にない。
この映画を何度か観ているはずなのに。
映画ではレースをワンカメ&ノーカットで映す。
以下、アン・パッカー - Wikipedia より。
パッカーは、東京オリンピックの400mの優勝候補と見られていた。しかし、オリンピック決勝では、52秒2のヨーロッパ新記録を樹立したにもかかわらず オーストラリアのベティ・カスバートに敗れてしまう。がっかりした彼女は800mに挑戦することとした。彼女は実は過去800mを5回しか走ったことがなかった。800mの予選、準決勝ではともにフランスのマリボンヌ・デュビュリエに敗れていた。
決勝では、最後方の位置からスタートし、1周目を終わったところでは6位であった。デュビュリエの後ろに付いたまま600mを3位で通過。最終コーナーを回ってから、彼女は優れたスプリント能力で先頭に立ち、金メダルを獲得した。東京オリンピック当時、同じイギリスの陸上代表選手であるロビー・ブライトウェルと婚約していた。800m決勝でゴールした直後、フィールドにいたブライトウェルのもとにパッカーが駆け寄り、抱擁する姿は市川崑監督による記録映画にも収録されている。東京オリンピック後にパッカーは現役引退を表明し、同年12月にブライトウェルと結婚した。パッカーは3人の男児をもうけ、そのうち2人は長じてマンチェスター・シティFCの選手となった。また、1965年には夫婦揃ってMBEに叙されている。
中学の体育教師だったパッカーさんはご存命、現在78歳だそうです。
映画を見てさまざまなことが頭を駆け巡る。
決勝のスタートラインに立った8人はすべてアマチュア、すべて白人、今では考えられない。
2コースのニュージーランド以外はすべてヨーロッパ、欧州選手権のようだ。
1964 東京五輪の記憶、2021年に上書きされるのだろうか。
Jスポーツのオンデマンドでいま無料でスーパーラグビー中継が見られる。
眼鏡堂レコメンドのアオテアロワ ハイランダーズとチーフスを観る。
眼鏡堂は後半を見ろと言ったが前半から面白いじゃないですか。
アーロン・スミス、ダミアン・マッケンジー、アーロン・クルーデンら黒衣軍団レギュラーや、
声に出して言いたい選手名、2ケートル超のロック パリパリ・パーキンソン。
チーフスの新監督は前ウエールズ代表のガッドランド。
対戦相手のハイランダーズには息子のブリン・ガッドランドがいる。
眼鏡堂推奨のラスト3分にドロップゴールの応酬がある。
ゲスト解説の中村亮土が言った。
「最高の親不孝」だったか「最低の親孝行」だったか。
やっぱりラグビーは面白い。