毎朝のように誰かの訃報が届く。
いつのまに日常になっている。
世界から知ってる人が消えていくという感覚が日常的になったのは何歳くらいからだろうか。
少なくとも二十代三十代での訃報というのは突然で、衝撃で、しかも珍しいものだった。
そして、はるか先の遠い出来事と思っていた。
いまでは雨が降るように、いやそれよりも頻度の高い出来事になった。
世界は死に満ちている、という感覚は自分がそこに近づいているからだろうか。
若い頃、成功者の年齢が気になったように、いまは享年が気になる。
86だと安心する。73とかだとあと15年かと年月を数える。
65だったりすると…覚悟が出来ていない。
死因も気になる。
今朝、イラストレーターの長友啓典さんの訃報が載った。
WOWOWの「W座からの招待状」で安西水丸さんの後を継いでいた人だ。
水丸さんは2014年に亡くなった。
長友さんは水丸さんより年長だったので仕方ないと言えば仕方ないのだが…驚きだった。
享年77。
文章 小山薫堂、ナレーター濱田岳、音楽 阿部海太郎と組んだ扉の動画集は素晴らしい。
いつかまとめて見ようと思う。
もうひとり漫画家の津雲むつみさんが亡くなった。
僕が中学生の頃に見たドラマ「俺は男だ」の原作者として記憶していた。
ドラマのクレジットに毎回出ていたからだ。
享年65、5つしか違わない。
ドラマを見ていた頃は二十歳そこそこだったのか…。
先日、かまやつひろしさんが亡くなった。
あの飄々さ、唯一無二の存在感。
♪ 今夜の夜汽車で旅立つ俺だよ あてなどないけど どうにかなるさ
「バンバンバン」「我が良き友よ」「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」「シンシア」
すべて口ずさむことが出来る。
モノより思い出。
自分が作ってきたジグソウパズルのピースがまたひとつ抜け落ちた。
そんな感覚ですね。
長く生きてきたからこそ味わう喪失感だと思う。
朝の光が作り出すスポット照明で江戸切り子を撮る。
ツグミを撮った。
モズ、同じ木にとまっていた。