タイムフリーでたまたま聞いていた番組にアウトドア作家のシェルパ斎藤がゲスト出演していた。
懐かしい名前だ。
ブログを探してみると…あった。
ひとりぼっちの小さな焚き火 | シェルパ斉藤の八ヶ岳スタイル
焚き火について書かれた最新回にこうあった。
「焚き火は森のテレビジョン」
そう表現したのは田渕義雄さんだ。
テレビではなく、テレビジョンであることに田渕さんのセンスとインテリジェンスを感じる。
静かに炎を眺めて、人を想い、物思いに耽るのも、焚き火の魅力だ。
ほぼフルムーンの月空の下、田渕さんを想ってひとりの焚き火を続けた。(中略)
4月9日にその想いも綴ったバックパッキングの本を小学館から出版するが、
その原稿を執筆しているときに田渕さんの訃報を耳にした。
「田渕さん。僕はあのときのままです。あのとき田渕さんが僕に共感してくれたおかげで、ずっと続けてこられました」と田渕さんに直接伝えて、新刊を手渡したかった。田渕さんは永遠の人だ。
これからも焚き火をするたびに、田渕さんを想うだろう。
それは僕ひとりでない。
田渕さんに鼓舞され、感化されて、心豊かな人生を謳歌しているすべての人々が焚き火をするたびに田渕さんに思いを馳せるはずだ。
田渕さんはみんなの心の中で永遠に生き続ける。
「焚き火は森のテレビジョン」
恥ずかしながらキャンプで焚き火をしてとき、毎回、まるで自分の言葉のように口にしてきた。
テレビ番組じゃなくてテレビジョン。
遠くの何かを映すもの。
「焚き火は森のテレビジョン。これは田淵義雄という人の言葉でさあ、ホントにそうだよね」
次からは敬意を表してそう言おう。
田淵さんはことしの1月30日に永眠したとある。
死因は明らかにされていないがブログの原稿を書いていた途中の急死だったようだ。
1944年生まれ、享年七十五。
田渕さんの訃報をお伝えします | 田渕義雄薪ストーブエッセイ・きみがいなければ生きていけない
「21世紀の自然生活人へ」の目次。
タイトルが詩的で美しいと思った。
「あなたの靴は重すぎる。5月の山道をそぞろ歩くには」
「寒山の夜は娯楽はL.L.ビーン・ショッピング」
「1994年、廻目平キャンプ場で思ったこと」
「いろいろやった。しかし、簡素的野営が一番贅沢」
「白樺のランプシェードの下、心の体力を鍛える季節」
「満月の夜のXCスキー、またはエピファニー(至高体験)」
「焚き火 それは素敵な旅の思い出テレビジョン」
このタイトルの一編を読んで僕はローカットのトレッキングシューズを買った。
「ロッククライミング、または地上で一番清浄な場所」を読んで六甲の荒地山へ登った。
ロッククライミングは憧れとなった。
僕がこれを読んだのがもっと早かったらもう少し本格的にやりたかったなあと思う。
でも、地上で一番清浄な場所 を少しだけでも感じられたからいいか。
イラストが素敵なのでいくらでも載せたくなる。
これくらいにしときます。
田淵さん、安らかに。
1944年生まれの人は僕らの世代とって13歳上、兄貴って感じの人が多い。
思いつくだけで、椎名誠、川本三郎、船戸与一、藤原新也、宮内勝典、辺見庸、沢野ひとし…。
久米宏やものもんたも1944年生まれだ。
1944年生まれはなんとなく気になってた生年だった。
ことし76歳、船戸さんと田淵さんは世界からいなくなってしまった。