ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2019/9/17 Tus.

体重が71.05キロ、ヤバイ。

左ひざの痛みは嘘のように消えた。

あれは何だったのか。

 

9月17日は江夏豊が王貞治からシーズン最多日本タイ記録と新記録の三振を奪った日です。

最近、日記が写真とキャプションだけになってきた。

小学生の絵日記以下でその日がそんな一日だったかがわからない。

ブログ(日録)の効用について過去に書いたことがある。

日常を整理して…そのときは確かに合点がいったのだけど忘れてしまった。

検索してみた。そうか、日記を書くことで書かないときより人生が楽しくなるのか…!

十年日記どころか2003年から始めた日記はもう15年以上経つ。

 

岐阜出張とそれにともなう動画編集&アップロード作業は楽しかったけど消耗した。

消耗というのは非生産的だね。

疲れました。

仕方ない。

もう僕は若くない。

そろそろ日常に戻り、歳相応の巡航速度で進もう。

 

A木に借りたSONYのコンデジがいい。

画質も描写力も今使ってるものとかなり違う。

この影絵のような画も右から二人目の子が着ている黄色がちゃんと出ている。

望遠は3倍ほどしかないけどトリミングしても十分にきれいだし。

カメラは毎日使うし、増税前のタイミングで買おうかな。

物欲は生命力でもあるし、と正当化して。(笑)

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高級コンデジで撮った影絵、週刊新潮の表紙をまねて。

マニアのようにカメラに10万20万かけようとは思わない。

大きな機材はフットワークが重くなるし宝の持ち腐れになるだろう。

Nikonの中古一眼レフ(2万円で購入)も持ってるけどあまり使ってない。

毎日使えるものがいい。

でも、あまり高価なものはちょっと安心して持ち歩けない。

これならば…と思う機種を探している。

SONY デジタルカメラ Cyber-shot RX100 III 光学2.9倍 DSC-RX100M3

SONY デジタルカメラ Cyber-shot RX100 III 光学2.9倍 DSC-RX100M3

 

5年前に発売した機種だけど新品で買える。

A木に借りたものより2段階上位で、ファインダーがついてて、液晶画面も可動式だし、

WIFIで転送出来るし、現在SONYで5000円キャッシュバックつき。

 

午後から局へ出る。

この週末に僕がやってた撮影や編集やアップロード作業を誰も知らない。

ま、いいさ。

誰にも文句を言われず、自由に好きなことが出来てる。

場合によっては自腹でもやりたいことを経費もらって出来る。

検閲を受けることもない。

なんて贅沢なんだと思う。

心静かに享受しよ。

 

 夕方、散髪へ行く。

出がけに鏡を見たらかなり伸びていた。

前回は8月始めだから一ヶ月半経っていた。

西梅田の駅前ビルの理髪店を予約しておいた。

担当のKさんと話をするのも楽しい。

店のガラス壁のポップやイラストは彼女が描いているそうだ。

笑顔のゴルゴ13や透明の自動ドアに描かれた激突防止の湯婆婆(ゆばーば)。

カメラの話をする。

北海道へ旅行した時、一眼レフはレンタルしたとのこと。

友だちに借りると壊したり汚したりしたら面倒だ。

レンタカー感覚ですね。

北海道へは子供連れで行ったそうで、彼女に子供がいることを知る。

意外でした。

きょうは白髪ぼかしはせず頭皮のデトックスをしてもらう。

ポイントが貯まっていたので1000円割引でした。

次は11月始めか。

 

インディアンカレーを食べて帰宅。

今月5日目のジムトレへ行く。

NHKのスポーツニュースを見たり、是枝×ケン・ローチの企画を見ながらバイクを漕ぐ。

ラジオクラウドで久米宏が奥田英朗の新作「罪の轍」について触れていた。

587ページの長編、久米宏は自分の読書スピードが落ちたと嘆くがこれを一日で読み通した。

「こういうものはいっきに読まないと。止まらないですから。」

確かにそうだよな。

本は、特にサスペンスは一気読みが原則だと思うのだが…。

読みたいが新潮社はKindle版がないんだよね。

ちと重い。

 ラジオでは池上彰が「波」に書いた書評に触れていた。

奥田英朗 『罪の轍』 | 新潮社

米屋でプラッシーを飲む。おお、これぞ1960年代の東京だ。

本文には「プラッシーというオレンジジュースをもらい」という説明になっている。

そうか、いまの人たちには、オレンジジュースだという注釈が必要なのか。

当時、プラッシーは、なぜか米穀店で売られていた。米は米穀店から届けてもらっていた。

御用聞きが注文を取りにくる。このときついでにプラッシーの配達を頼むのだ。

小学生だった私は、これを飲むのが楽しみだった。

米屋でプラッシーという一節だけで、この小説が、当時を見事に再現していることがわかる。

 

僕も米屋でプラッシーを売っているのを知る世代だ。

でも、なぜか飲んだことはない。

飲みたかったという記憶は残っている1960年代、僕は小学生だった。

確かプラッシーは武田食品だったような。

武田と米屋って関係あるのかな?

WIKIによると薬品会社だったために清涼飲料水の販路がなく米屋に活路を見いだしたとか。

プラッシーはジュースにビタミンCをプラスしたから、プラスCからプラッシーとなったとか。