最近、トイレ本として「岳」を読み返している。
一度は読んだはずだが第一巻を読んだのは10年近く前だろう。
一話一話の詳細はほとんど忘れている。
ほぼ新しいものとして読んでいる。
加齢は経済的でもある。
きょう読んだ一篇にこんな会話があった。
主人公の島崎三歩の高校時代の回想シーン。
恩師である山岳部の顧問が進路に悩む三歩にアドバイスする。
なあ、島崎…オレは死ぬぞ。
( ? )
オレだけじゃない。
全ての人の最終到達点は死……。
島崎、おまえもだ。
そこまでのルートはお前にしか決められん。
そう思わんか?
石塚真一『岳』第6巻「ルート前編」より
結果がすべてというけれど、だ。
結果は最終到達点、すなわち人生の終焉、すべての人に平等。
と考えたら大事なのはそこまでの道のり、やりたいことをやること。
この会話を読んで林真理子の「下流の宴」の一節を思い出した。
これも医学部を目指す主人公がリタイアした初老の公園フレンド広瀬との会話。
主人公のタマ(珠緒)ちゃんが言う。
「せっかくいい大学出たのに、なんかつまんないよね。
結局はさ、人って年寄りになって、いつかは死ぬんだよね。そう考えるとさー。東大とかヒトツバシ出てもさ、いつか人って、同じとこへ行くんだよねー」
(中略)
広瀬は苦笑いする。しかし、決して不愉快そうではない。
珠緒の反応を面白がっているのだ。
「だけど、僕はそうは思わないよ。絶対にさ」
「あれー、そうなの」
「だってそうだろ、タマちゃん。人間はさ、急に二十歳から、六十歳になるわけじゃない。
その四十年間でさ、いろんなことを経験するんだ。僕はね、世界中のいろんな所へ行ってさ、
楽しい経験をいっぱいした。うんとうまいものを食べたし、酒も一杯飲んだ。
あのね、どうせ惨めな老後が待ってるんだったら、何をしても同じだね、なんていうのはさ、まるっきり違うと思うよ」
「そうかー、そうだよね」
「そうだよ。この頃さ、タマちゃんみたいな若い人たちがさ、
どうせ、人間行きつくとこは同じ、みたいなことを考えてるだろ。あれって嫌だね。
僕はさ、思い出に生きるつもりはないけどさ、四十年はうんと楽しんだ。
年とってからのことなんか考えなくてもいいんだ。
二十代からの四十年のことを考えて人間って若い時に頑張るんだよ……。
いや、なんか説教臭いこと言っちゃったね。
せっかくのタマちゃんのコーヒーブレイクなのにさ」
(林真理子「下流の宴」345-346頁)
すなわち、これなのだ。
『結果が、最初の思惑通りにならなくとも、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして、最後に意味を持つのは結果ではなく、過ぎていったかけがえのないその時間である』
(星野道夫「旅をする木」より)
きょうからニュースデスク2連投。
週間予報に☀️マークが並ぶ。
悲観論者ゆえ不安になる。
いつかツケを支払わなければならないのでは?
出勤して先ずは懸案のギャラ問題(?)を解決する。
レゾリューションは単純に、が決め手だ。
放っておくと複雑化するだけ。
A部老師よりお誘いがある。
大阪城公園までちょっと顔貸せと。
いそいそ出かけると老師が路上でオリオンという荒ぶる所業。
初夏の日差しのリバーサイド。
おつき合いする。
デスク作業は深夜に及ぶ。
阪神広島戦が終わったのは23時過ぎ。
受け担当は珍しいシフトでK口氏。
なんも言えねえ。