到着したのは朝6時20分、大阪南港は雨に煙っていた。
港は神戸が圧勝だな。
六甲の山と街のパノラマに吸い込まれていく感じがいい。
大阪はべったりしている。
ほぼ満席のさんふらわああいぼりー、学生のグループ旅行が目立つ。
弾丸フェリーのUSJ日帰りツアーがあるのだろう。
バスやジャンボタクシーが待っていた。
「帰りは長﨑まで夜行バスや」
女子大生らしき娘が話してるのが聞こえた。
そのまま会社へ行く予定だったけどいったん家に帰ろう。
トレードセンター前からニュートラムで住之江公園に出る。
このニュートラムに最初に乗ったのは1979年の4月、はっきりと憶えている。
僕は21歳、金沢から大阪まで夜行列車で来て、フェリーで沖縄へ行ったのだ。
沖縄行有村産業の「飛龍」はかもめ埠頭というニュートラムの駅から離れた場所にあった。
4月、金沢は雪だったが、大阪は夏のような暑い日だった。
誰もいない埋め立て地を1時間近く歩いた。
その頃、ウォークマンも持っていなかった。
耳にはナベサダの「カリフォルニアシャワー」がリフレインしていた。
何てしあわせな時代だったんだ、と素直に思える。
今よりずっと日射しは強く、風は冷たく、僕はどこまでも歩くことができた。
回想から目覚めると61歳の僕がニュートラムの通勤客といっしょに運ばれている。
外は雨が降っている。
21歳の僕がこの事実を知ったらなんて思うだろうか?
六十のい手習い?
いやサバよんでました。
Instagramのストーリー、六十一の手習いです。