コロナ禍は自分のライフスタイルを考える契機になってる気がする。
ライフスタイル=暮らし方、あるいは暮らしの指向ね。
混雑する場所を避ける。
時間帯を外す。
一人で過ごすのを苦にならない。というより好む。
これは五十代以降だが、3人以上で飲み食いするのはあまり好きじゃない。
桜の下で大騒ぎして飲み食いするのを苦々しく思っている。
コロナになってこんな自分の指向を推奨されてる。
きみはニューノーマル!みたいな。
迷惑です。
歓迎せざる傾向だと思っている。
自分にとってはニューノーマルは迷惑でしかない。
多数派になりたくないひねくれ者ゆえ。
三密回避してないとか、マスクをしてないとか憤りを感じている人は僕らみたいな中高年が多い。
若い世代にもいるだろうけど、たまたま自分がいっしょに仕事をしてる二十代三十代にはいない。
みんなそこそこ忙しくて憤りは他にもあるのだろうな。
もし僕が今の時代に二十代の大学生だったら…と想像してみる。
好き嫌いは別として、仲間で集まる、どこか遠くへ旅をする、夜遅くまで飲んだりする。
深夜、金沢の武家屋敷の町を、サザン・オールスターズなんて歌いながら、
放歌高吟、そのまま誰かの下宿へ転がりこんで朝を迎える。
当たり前のようにしてた。
というか、なんのお咎めもなかった。
でも、今はそうじゃない。
たまたま、そんな僕らはトシヨリになってライフスタイルが変わった頃にコロナがやってきた。
21世紀を生きてる人は誰も経験したことのない時代。
感染が多いのは二十代三十代、ほぼ無症状。
僕が二十代の頃を思い出しても想像できない。
何か記事を読んだりしたら障害者や、重病の人に思いを寄せる。
でも、正直すぐに忘れる人が大多数だ。
果たして危機感は感じられただろうか。
怖いと思ってないので真実追いこまれていると感じない。
〆切りのない仕事になかなか着手出来ないのと似て。
オリンピック強行開催とか聖火リレーとかは別にして、
現時点では、こんなもんじゃないの?って言ったら天罰が下るかな。
備中、美作、播磨と遠くの🌸🌸🌸を愛でた。
仕事へ出る前に、きょうは身の回りの🌸を巡回した。
遠くの桜はまだ五分咲きだったが、近所の桜は満開だった。
過去のFacebookや日記を見ても今年は季節進行が早い。
どこかで足並みは揃うのものだが、少なくとも3月末に満開は早いね。
近所の桜の名所、夙川公園も満開。
坐って宴会が出来ない分、平日だが歩いている人が多いような気がする。
陸上の記録会の動画を編集、アップするために出社する。
仕事場から見る大阪城公園の桜も満開みたいだ。
ネット環境が悪いので思ったより作業に時間がかかってしまう。
ボーマンも収まってきた。
社食でミニカレーうどんを食べる。
今日は発症しなかった。
ホッとする。