実は観てない映画10本 の4本目です。(ラインナップに一部改編あり)
黒澤明監督『七人の侍』(1954年)3時間24分
戦国時代の貧しい農村を舞台に、野盗と化した野武士に立ち向かうべく農民に雇われた侍たちの闘いを描いた作品。黒澤明監督による日本映画の傑作。麦の刈入れが終わる頃。とある農村では野武士たちの襲来を前に恐怖におののいていた。百姓だけで闘っても勝ち目はないが、麦を盗られれば飢え死にしてしまう。百姓たちは野盗から村を守るため侍を雇うことを決断する。やがて、百姓たちは食べるのもままならない浪人たち7人を見つけ出し、彼らとともに野武士に対抗すべく立ち上がる……。
世の中には2種類の人間がいる。
「七人の侍」を見て死んでいく人間と、見ないで死んでいく人間だ。
と言われる(言われてねえか)くらい有名な傑作なのに危うく見ないで死ぬところだった。
1954年公開だから自分の生まれる前の映画です。
実はこの年、日本映画の当たり年でした。
前に映画館でリマスター版を見た「二十四の瞳」も、「ゴジラ」もこの年の公開。
海外でも「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「恐怖の報酬」が1954年の映画だ。
3時間半の映画、ずっと引きこまれて観た。
七人の侍のキャラも初めてちゃんとわかった。
テレビで何度か細切れに見ていて誰が誰だかわからなかった。
見終わっても書かれたものがたっぷりある。
二度三度、何度も味わえるのが名作の楽しさだ。
小林信彦「黒澤明という時代」を読み返す。
小林さんはもちろん封切り時に観ている。
私が観たのは5月8日、新宿文化である。封切館であるが、文字通り、満員であった。このごろ《満席》とかいういじらしい言葉があるが、《満員》というのは文字通り、立ち見を含めて一杯なので、席をとるのは肉弾戦である。大学四年になったばかりの私は、結局、客席と脇の通路を仕切る金属製の手すりに押しつけられたまま、3時間27分を乗り切った。途中にインターミッションが5分あり、トイレに行きたかったが、一度外に出ると、その空間にもう戻れないので我慢した。画面の中も戦い、客席も戦いであった。
そんな状況で観る「七人の侍」はそれはそれで血湧き肉躍る経験だろうなと思う。
やっぱり旬は旬、時代のどまんなかで観ることは最高の経験だろうと思う。
たとえ肉体的に我慢を強いられても。
ソーシャル・ディスタンスなんてクソ食らえ、だ。
最後に志村喬が「また負け戦だったな。勝ったのは百姓だ」と言う。
農民はパワフルで、またグロテスクに描かれていた。
まず風貌、よくこんな顔の人たちを集めてきたなと思うほどグロテスク。
そして、竹千代(三船敏郎)の台詞にあったようにその存在もグロテスクだ。
やい!お前たち!一体百姓を何だと思ってたんだ?仏様だとでも思ってたか? ん?
笑わせちゃいけねえや!百姓くらい悪ずれした生き物はねえんだぜ!
米 出せっちゃ無え! 麦出せっちゃ無え! 何もかも無えっつんだ!ふん!ところがあるんだ。
何だってあるんだ。
床下ひっぺがして掘ってみな!そこになかったら納屋の隅だ!出てくる出てくる・・・
瓶に入った米!塩!豆!酒!
正直ヅラしてペコペコ頭下げて嘘をつく!何でもごまかす!
どっかに戦でもありゃあすぐ竹槍つくって落ち武者狩りだ!
よく聞きな!
百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだ!
ちきしょう!
おかしくって涙が出らあ!
だがな、そんな「けだもの」をつくったの一体誰だ? お前たちだよ!侍だってんだよ!馬鹿野郎!
戦のたびに村を焼く!田畑踏ん潰す!食い物は取り上げる!人夫コキ使う!女は犯す!手向かや殺す!
一体百姓はどうすりゃあいいんだ!百姓はどうすりゃあいいんだ、百姓は・・・
ちきしょう・・・・ちきしょう・・・!
歌舞伎でいう大見得、これが全てだと思った。
戦いで百姓に寄ってたかって突き殺される野武士はダークサイドに落ちたもう一人の七人の侍だ。
和田誠の「お楽しみはこれからだ Part2」にこんなエピソードがあった。
高堂国典が村の長老役で、彼が野武士との闘いを「やるべし!」と言う。
赤塚不二夫のマンガに「ベシ」という名の虫だか蛙だかわからぬ珍妙なキャラクターが出てくるが、それはこの「やるべし!」がヒントなんだそうである。
確かにあれは強烈なシーンだった。
ある意味、マンガ的な。
「やるべし!」
ざわつく百姓たち。「オラたちだけでは勝てねえ」
「侍雇うだよ」