3月、もう一週間が経つ。
日曜日に独りデイキャンプして、月曜日には神戸長田区で角打ち巡礼、
火曜日からは軽めの仕事で、金曜日は15年ぶりに須磨アルプスへハイキング…
🎵 トリャトリャトリャトリャトリャトリャリャ これがわたしの一週間です。
朝、新聞、冊子類を捨てる。
歌舞伎や文楽のパンフレットもほぼ処分した。
そろそろ世間もコロナコロナでうんざりしてきていると思う。
ほとんど大部分の人が健康に実害があるわけではないし、季節は春だし。
連日、テレビでシンゾーの顔を見るのも同じくらいうんざりしてる。
「貴」のパンはシンプルで癖がない。
バタールもちゃんとしたフランスパンでした。
最近のマイブームは昼寝。
午後眠くなるとデスク下のカーペットフロアに直に座布団を敷いて横になる。
狭いけどなんだかネコになった気分で落ち着くのだ。
この閉塞感というか、隠れ家感がなぜか心地いい。
このまま死ねたらと思う。
ヒロに話すと、頼むから止めてよ という。
そんなところで死んでたらあれこれ面倒くさいと。
なぜ夫をそんなところに寝かせてたのか? 虐待か? 何か理由があるのでは?
いま彼女は高村薫の「我らが少女A」を読んでるので、
「合田刑事は絶対怪しむわ。尋問されたらあることないこと話してしまうわ」と困惑する。
死なないように昼寝しよう。
あっという間に夕方になる。
いかなご釘煮の季節だが今年は記録的な不漁、解禁して2日で漁を断念したそうだ。
ざらめの砂糖とかも安いときに買って準備していたのだが…。
2020年、いかなごは無しです。
コロナウイルスとは関係ないですが。
夕餉はこんなメニューでした。
夕食後、#六十三人生大整理に手をつける。
雑誌のスクラップが10冊ほどあって整理する。
合間に「ブラタモリ」「突撃!カネオくん」などを見て作業を続ける。
昼寝したのでまた眠れず、「絶メシロード」と「ゆるキャン」を観る。
岸政彦「図書室」の表題作を読了。
悪くない小説だったけど、うまく感想が書けない。
世の中にはレビューが巧い人たちがいて、二度楽しめる。
川上未映子さんは書いている。
読み進むにつれ、自分が子どもだった頃に漠然と感じていた、不安や憧れや感情になる前の感覚が思いだされ、自分の物語に出会い直しているような、懐かしい気持ちがこみあげるだろう。しかし、作品の底を流れるその優しさは諦めによく似ていて、その態度はおそらく著者の生来のものであると同時に(感受性は所与のものだ)、社会学者として長く様々な人々の生活の声を聞き取り接してきたことで研がれたのだろう (川上未映子)
まだ感情に育たない感覚、自分の物語に出会い直しているような懐かしい気持ち…。
そうそう、それです。
またある書店員さんはこうレビューに書いている。
「今月のプラチナ本」は、岸政彦『図書室』 | ダ・ヴィンチニュース
「もう会わないあの人、元気ならいいな」(西條弓子)
人生のある時期とても近いところにいて、でも何かの理由で、あるいは理由もなく会わなくなってそれきり。読んでいるといつのまにかそんな人の顔が浮かんでくる不思議な小説だ。語り手の美穂が淀川を眺めながら思い出す、10年一緒に暮らした男、図書室の少年、彼と拾った猫、その誰もいまは彼女のとなりにいない。それでも記憶の中で再生される会話、彼らと一緒に見た景色があまりにきれいで苦しくなる。今はもうない、でもかつて確かにあった光、その美しさを思い出させてくれる物語。
なんだか終活で手紙を、写真を捨てながら起き上がる感情に近いのかもしれない。
ちらりとだが、昔住んでいたアパートを見に行くシーンがある。
自分のそれはどこだろうか?
刈谷にはない。
金沢の学生寮、長町の宮村アパート、増泉の貸家、阪急六甲の髙羽アパート、
香櫨園屋敷町の若葉アパート、法円坂の大阪市営住宅、武庫川団地一号棟。
いまちゃんと残ってるのは武庫川団地1号棟901号室しかないかも。
結局、韓国とのなじり合い合戦になる。
これを嬉しそうにメディアが報道するのは日韓両国ともにどちらも同じ。
ヒロは韓国の報復措置はムン政権の支持率回復のためのプロパガンダというが、
それはアベ政権も同じ、どっちもどっちで、先に喧嘩をしかけたのはどっち?
というと家庭内もとげとげしくなるので言わずにおく。