ほぼ日手帳カズンを9月から使い始めている。
日記感覚でメモれて手書きで一日を時間軸で管理できるのがいい。
旅で使っていたトラベルジャーナル感覚。
朝の室温26度、湿度25%と涼しい。
明け方、カラスの鳴き声で起こされる。
薄い羽毛布団をかけてなかったので寒かった。
きょうは午前中は走らずプールで歩く。
昼食後、バレーボールの告知動画を編集してた予想以上に手間取り、
予定していた映画「きみの声をとどけたい」を諦める。
4時過ぎに出社して8月の勤務報告を入力する。
驚くほど仕事していないことが判明、恥ずかしくなる。
走っても、それほどあちこちへ出かけてもいない。
つまりはぐったりと自堕落を決めていたのだ。
夕刻、ジョギングクラブの定例走に参加する。
涼しいが昨日ほどではない。
湿気がちょっと多く感じる。
走りながら去年は残暑が厳しかったことを思い出す。
松江玉造ハーフは暑くてのんびり走っていたら関門制限でバスに収容された。
終わってから駅への道も真夏みたいだった。
10月に入っても残暑は続き、園田競馬リレーマラソンも酷暑だった。
気分を変えてきょうは中之島アーバンクルージング。
川崎橋を渡り天満橋、天神橋、難波橋を過ぎ西天満の鉾流橋(ほこながしばし)まで。
中之島公会堂で折り返して大阪城へ戻る。
久しぶり、夜の中之島公会堂。
天神橋南詰めあたりから見た大川。
マーライオンよりは立派な噴水。
アフターランは4人で京橋南口SASUKEで吞む。
24時間テレビで大阪の義足の女の子が槍ヶ岳に登ったという話を聞く。
そういえば利尻山の頂上付近で松葉杖をついて登ってきた女の子に会ったことを思い出す。
槍ヶ岳には5回登っている。
うち一回は悪天候でピークは踏めずだったから4回か…。
おそらく1990年代中頃、10月31日の写真。
この日で槍ヶ岳山荘が冬季休業に入る日だった。
僕とミネーロは無謀にも穂高まで縦走しようとしていたのだが、
降雪があり、稜線も、北穂の直登も凍る危険もあったのにアイゼンもピッケルも持ってなかった。
縦走を断念して翌日に上高地へ下山して焼岳経由で中尾温泉の常宿に入ったと記憶する。
槍ヶ岳登山、最初はミネーロと7月だったと思う。
槍沢手前で天候が急変し雷雨となった。
避難ししばし待機、おかげで雪渓歩きで暗くなって遭難しそうになる。
2回目も7月だったか…。
台風だったか低気圧だったかで登頂断念、飛驒側の新穂高へエスケープするも豪雨に遭う。
途中、ミネーロが濁流に流されたおばちゃんを救出する。
3回目は単独行。
小梨平でテント泊をして、小屋泊まりで往復した。
4回目が写真の晩秋、新雪の北アルプス。
5回目が2000年6月、ヒロと縦走に成功した。
ただし、帰りの下山路、北穂の斜面で滑落!
何度も危険な目に遭っている。