ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2017/2/11 早くうちへ帰ろう!

また寝坊する。

昨日ライブのあと、遅くまで立ち吞みしてて、帰ったのは日付変更線を越えていた。

確信犯です。

昨日も書いたけど、もう還暦なのだから、もう少し早くおうちに帰ろう。

朝の時間を大切にしたい。

一日が始まったばかりの、追いこまれてない、ゆとりある時間。

起きて、トイレへ行き、珈琲を飲んで、メールを読んでたら、

すでに9時過ぎなんてのは一日がもったいない。

ジョギングに出る時間が遅くなり、今日なんて逡巡したあげく止めてしまった。

罪悪感とともに昼が来た。

サラリーマンじゃないけど「サラメシ」みたいだ。

 

きょうは3つ。

できることの少ない日は、少なくなにかをする。

 

 

言いたいことが「10」あるなら、

それをとにかく「1」にしぼって伝える。

 

 

アイデアがほしいときにも、

悩みがあるときにも、悲しいときにも、

そういえば、ぼくは「寝ちゃう」ことで凌いできました。

すごいでしょう!

もちろん、ただ眠いときも、ね。

 

      (糸井重里「ボールのようなことば。」より)

 

週末の土日はニュースデスク。

プロ野球のキャンプくらいしかなくて事実上 開店休業状態。

系列局への素材送りとかもらいとかで一日が過ぎる。

送りのIP回線のシステムがトラぶる。

土日とあって担当者がつかまらず(というか誰が担当者なのか?)、解決しない。

技術や撮影の人たちがバタバタと動いてくれてパソコンを再起動したら直った。

そんなことで今日一日が終わる。

 

ランニングのウエアとシューズは持ってきた。

7時半過ぎになった。

どうする?

1. 走って独酌。

2. 走らずに即独酌。

3. 独酌せずにレイトショー

 

走ればあとは絶対に気持ちいいのはわかっている。

寝坊に加え、2017年2月11日は何も出来なかった一日としてまた罪悪感が増す。

でも、寒い。

着替えも面倒だ。

 

    できることの少ない日は、少なくなにかをする。

 

そういうことか…。

ひとりで走った。

今宵は望月、夜景が美しい。

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amazonの古本マーケットで「散歩もの」を1円+送料で買って読んだばかりだった。

作者の谷口ジローの訃報にふれた。

享年69、死因は記されていない。

もう、あの絵で「孤独のグルメ」は読めないのか。  

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2017/2/10 満月寒夜憂歌咆哮

走りながら聞いていた Podcastで書評家の豊崎由美が言う。

「二十代や三十代のころに見た五十代なんて相当な年寄りだと思ったけど、

 いま思ったら、五十なんて若いですよ。」

五十なんて若い。

ホントにそう思う。

七十になったら思うのだろうか?

六十なんて若いよ、と。

今はまさか!と思うけど、きっとそう思うのだろうな。

自分が五十のときには、五十なんて若いよ、と思うなんて想像できなかった。

今なら言える。

鼻をならして、「ふ、五十なんて若けえよ!」 と。

 

若いうちは、できないことが多いからこそ、

できるようになるよろこびが、いっぱいあるんですよね。

 

        (糸井重里「ボールのようなことば。」より)

 

確かに五十代には毎年のように出来なくなってしまうことが増えていく。

そんな時代でも、たまにだけど、新たに出来るようになることがあればいいなと思う。

 

人間の一生というのは、もう、食わず嫌いの連続だよ。

 

     (糸井重里「ボールのようなことば。」より)

 

そこまでの人生で馬鹿にして遠ざけてたものをやってみるのも手だ。

ゆるいマラソン仲間なんて作ったのも成り行きではあるけれどそんな思いからだ。

 

 

起き抜けの六甲山。

きょうは山頂部分にスポットが当たって白き山になった。

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ロウバイはほぼ満開。

この庭の前を走ると芳しき甘き香りが鼻腔をくすぐる。

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今日は海のキラキラ度が高い。

光と風の演出。

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いつもの風景に雪をかぶった山が加わる。

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キンクロハジロの家族。

親子と兄弟だろうか。

キンクロハジロ|日本の鳥百科|サントリーの愛鳥活動

これを撃って食べた人のリポートを読む。

雑食性なので肉は臭いが強く不味いらしい。

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2017/2/9 終わらないと始まらない。

ラスト一週間がもう5日間しか残っていない。

つめたい雨が降っている。

夜半はみぞれだったかもしれない。

もうすぐ五十代が終わるってのにみぞれなんか降るなよな。

雪だったらいいのに。

音もなく舞い降りる雪だったら…。

きょうは走らない。

 

よいことわるいことに関係なく、

終わりということを考えるのは、

必ずなにかのはじまりです。

 

    (糸井重里「ボールのようなことば。」より)

 ブラウザーのsafariが気持悪いポップ広告やリダイレクトに冒されて使いづらくなった。

苦肉の策で別のブラウザー Firefox に引っ越したら意外と便利でサクサク使えた。

こういうのってなんだか人生みたいだな、と思う。

終わらせないと始まらない。

それが偶然でも、必然でも。

 

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午後になって小止みになったので駅まで自転車で行けた。

編集のチェックを済ませて資料をコピーしたらやる気がなくなる。

もう少しだけ先延ばしにしよう。

一昨日の日記に引用した言葉が背中にちくりと刺す。

5時過ぎ、天満の「寅屋」に立っていた。

ぎゅうぎゅう詰めのカウンターでダークダックス立ちしながら3冷ホッピーを飲む。

なかなかキャラの濃いおばちゃんの差配で注文する。

モツ煮こみ、サガリをわさび醤油で、アブラをタレで、それと軟骨チャーシュー。

軟骨チャーシューを頼むと「あ、ナンチャね」と言われた。

どれも旨い。

天羽ハイボールと葡萄割りを飲む。

ほろ酔いで店を出ると駅舎の前に放置自転車が積まれていた。

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池田町方面を流し、天神橋商店街に古くからあるうどん屋で熱々のあんかけ蕎麦。

扇町公園をトラバースし、神山町のアフターアワーズ、今年初めてかな。

大介さんの話、加川良の話、あれやこれやと昔話。

阪急東通り商店街のアーケードを歩く。

僕らが知ってる店がほぼ消滅している。

ここにLPコーナーがあった。

ここにバンビがあった。

ここに珍しいウイスキーを置いてる酒屋があった。

いまは風俗と風俗案内所とオオバコの居酒屋とカフェまがい、バルまがいの店ばかり。

残っているのは王将だけか…。

 

 iMacは23時までにオフる、というのが自分ルールだけどなかなか守れない。

そもそも帰宅が遅いのが問題だ。

仕事やレイトショーのときは仕方ないにしても飲食では21時までには帰宅しよう。

なんたってもう還暦なのだから。

 

なんでこのCMの動画にたどり着いたのかは忘れた。

少女時代の池脇千鶴の家を売るという複雑な思いを表現する演技が凄い。

この少女が十数年後「そこのみにて光輝く」であの素晴らしい汚れ役を演じるのだ。

下の妹役は井上真央だそう。

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2017/2/8 冷静と情熱、慎重と実行のはざま

糸井重里の引用から始まる50代ラスト7日間の日記のはじまり。

「あとあとのためにとっておこう」というのはいい。

でも、そのあとあとがあんまり後になると、

おいしくもたのしくもなくなってしまう。

なんでもさめないうちに食ったほうがいいんだ。

 

         (糸井重里「ボールのようなことば。」より)

 四十代以降というのは、この「あとあとの楽しみにとっておこう」という気持ちと、

「さめないうちに(老人になってしまう前に)食べてしまおう」という気持ちとが、

一進一退の攻防を繰り広げた時代であった  と言えなくもない。

小説家の堀江敏幸がいつかラジオで人生を回転寿司にたとえていたことを思い出した。

回ってきた皿を、欲しい、と思う時にとらないと一周回ってきた時には満腹になってるかも。

「グラスに口をつけたら最後まで飲み干せ、グラスを置いて戻ってきても雫も残ってない。」

と開高健も「河は眠らない」で言った。

さて六十代、慎重と行動のせめぎ合い、覚悟を決めよう。

 

 

「ほぼ日」でこんな連載があった。

しずかな気持ちで心に染みいる感じがいい。

やさしく、つよく、おもしろく。 - ほぼ日刊イトイ新聞

 

 

 

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 夜に走る約束をしているので今朝は走らず。

午前11時の朝食はごらんのメニュー。

まん中にどーんと大鍋のおでんが湯気をあげている。

ハムエッグも大好きだ。

水菜と揚げの煮びたしも好物。

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2017/2/7 Last One Week

来週には還暦、五十代最後の一週間となる。

エリック・ドルフィーだったか、ライブ録音の中で言う。

“When music is over, it’s gone in the air. You can never capture it again.”

(音楽は空気の中に消えてゆき、二度とつかまえることは出来ない。)

ま、こんな引用をするまでもなく、時間は二度と巻き戻せない。

レモンをかけてしまった唐揚げは元に戻らない。

 

時の流れは不可逆のことわり。

富裕層も貧困層も同じ。

一方通行。

残酷なまでにフェア。

五十歳台の2月7日は二度と来ない。

 

五十代は楽しかった。

あっという間だった。

もう五十だぜ、とついこの前 口に出してたような気がする。

五十代であることがようやく身に心に馴染んできたばかりなのに…。

残り一週間だぜ。

いや、ほんとに。

 

でも、海外に行ったのはウエールズとフィンランドの一度だけ。

四十代ではアメリカ東海岸、西海岸、オーストラリア、ギリシャ、イラン、アラスカ、ハワイ。

三十代はボルネオ、マレーシア、アイルランド、スコットランド、イタリア、ドイツ、オランダ、

ハンガリー、イングランド etc.

 

出来ることがひとつずつ失われていく時代でもあった。

「いつか」と言って先に延ばしていることは、

「いつか」と言ったそのときにするべきかもしれない。

 

           (糸井重里「ボールのようなことば。」より)

 退却戦だけど、ひとつくらい一泡吹かせてやってもいいじゃないか、

そんな気持ちが残っていることは誇りに思う。

 

誕生日の祝い返しは文庫のブックカバーに決めた。

ブックカバーだけではさみしいので中身を選んだ。

押しつけようと思います。

基準はリーダビリティー。

教訓的でないもの。

自分が読んだもの。

再読できるもの。

とるに足らないもの。

誰にどの本を渡すかは決めている。

 

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 きのうは朝晩走ったので今日は近所のお散歩程度のジョギング。

近所と言ってもバリエーション豊かで悪くない。

 

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見慣れた夙川河口だけど一日とて同じ風景はない。

風が作る波紋や波紋の立たない海面があったりして不思議だ。

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