リクエストして少し早めの昼ごはんにおにぎりをつくってもらう。
新米(ひとめぼれ)の炊きたて おかず は要らない、具沢山の豚汁と焼き海苔でいい。
豚汁の具は根菜たっぷり。
大根、牛蒡、人参、薩摩芋、馬鈴薯、蒟蒻、そして豚細切れに小葱をぱらり。
ごま油の香りがいい。
贅沢だと思う。
最上級のしあわせである。
もうひとつ贅沢を言うなら冬の朝、晩秋の冷えた朝ならなおさらいい。
この日はまた夏日になりそうな昼前だった。
宮城県涌谷町から今年も新米が届く。
ひとめぼれ10キロ、ササニシキ10キロ。
ここ数年は山形のつや姫も入っていたけど今年はなかった。
その分、ひとめとササが増量。
嬉しい。
ことしは南海トラフとか台風とか地震とかで買い占めがあったりして米不足だと聞いていた。
当たり前のように新米が届くのが本当に嬉しい。
ヒロも「わあー!嬉しい。めちゃ助かる」と喜ぶ。
新米が届くようになって何年になるだろう。
コメ農家のササキさんと知り合ったのは障がい者野球の世界大会の取材だった。
仙台のチームから日本代表に選ばれたササキさん、背番号は当時の年齢と同じ52だった。
あれは2006年の秋だった。
以来、東北の震災を経ても途切れず18年連続で毎年届いている。
ササキさんはことし古希を迎えた。
取材にはちょっとしたエピソードがある。
障がい者野球の日本代表合宿は第一回世界大会が開催される兵庫県で行われていた。
日本代表最年長、専業農家の選手ということで取材対象にさせてもらった。
ササキさんは農業機械のコンバインに手を挟まれて左手が欠損していた。
ちょうど刈り入れどきだったので稲刈りを撮影しに宮城へ行った。
神戸で開催された世界大会に宮城から神戸のスタジアムへ家族が応援に来た。
本人に内緒のちょっとしたサプライズ。
番組にはちょっとした問題もあった。
もともと特番をつくる前提で取材を始めたのだが、諸事情で枠がとれず放送出来なくなった。
関西の選手を取材した映像はレギュラー枠やニュース枠で放送したが、
宮城出身の選手であるササキさんの取材分はローカル枠では放送できない。
なんとか放送出来ないものかと日本テレビの夕方ニュース枠に売りこむと、OKが出た。
ただし尺は4分程度。
この枠は宮城テレビがネット受けをしている。
関西ローカルよりもベターな選択だった。
当時のことを日記に書いている。
NTV「リアルタイム」5分VTRの編集を粛々と進める。
この短い尺ではいくつかのシーンはばっさりと諦めるしかない。
カットは積み重ねることで年月を想像させ主人公の思いが伝たわるのだが。
何を諦めて、何を残すか? この放送に関しては割り切りが肝心だ。企画書にこう書いた。
『じいちゃんは日本代表!』
野球が好きな東北の農家のおじさんがいました。
35歳の時、コンバインを整備中に左手を失ってしまいました。
それでも大好きな野球を諦めずに障害者野球リーグで頑張りました。
全力プレイが認められ何とジャパン代表として世界大会に出場します。
チーム最年長の52歳、背番号も52番。
おじさんには可愛い孫が出来ました。おじいさんになりました。
そう、じいちゃんは日本代表選手なのです。
まだ1歳7ヶ月の女の子で野球なんてわかりません。おじさんは言います。
「じいちゃんが背番号と同じ歳にこういう大会に出たんだよってことを
物心ついた時に(ユニフォームを見せて)話してやること出来ればなと思って」かくして、52歳の日本代表は障害者のWBCに出場。
スタンドでは奥さんと生まれて初めて飛行機に乗ってやってきた孫が見つめます。
台湾戦、先制を許した日本ですが、その裏 満塁でおじさんに打席が回ってきます。
なんて書くと、それでもけっこう詰め込んでいるな と思う。
手首を切断したあとの鬱屈した日々、
切断直後の妹の死、父の障害によるいじめで高校を中退した娘、
そこからの復活の物語は省略する。
障害者になってから無農薬減化学肥料で米作りをするようになった話、
さらには農作業で応援には来られないと言っていた奥さんが
試合の当日、孫を連れてスタンドにかけつけたサプライズ、
これらも4分半ではカットせざるを得なかった。
入れたとしても十分に伝わらないからだ。 (2006/11/12)
上記の日記にも少しだけ書いたが放送後の後日談がある。
日本テレビで放送されたものをササキさんの娘さん(長女)が見た。
当時、ある理由で実家と疎遠になっていた娘さんは神奈川で一人暮らしをしていた。
たまたま見た夕方のニュースに父の姿があった。
思うところあって宮城の実家に連絡が入った。
放送をきっかけに娘さんが宮城へ戻って来ることになる。
農作業を手伝うようになり、その後、隣町の農家に嫁入りしたそうだ。
ササキさんの新米が届くと、そんなこともあったなあ、と思い出す。
東日本大震災の年、見舞いを兼ねて田植えを撮影した。
あれから13年か…。
近くに鳴子温泉もあるので、またふらりと行きたい。
[2024/10/18記]