インスタで見つけたシルバー川柳の一句。
懐メロが 新しすぎて 歌えない
嫁(ヒロ)も肯くことしきり。
じゃあ、僕らにとって同時代の音楽はすでに懐メロ以前なのか。
今日のレコードコンサートは斎藤哲夫「バイバイグッバイサラバイ」です。
すっかり日焼けしてボロボロになったジャケット、歌詞カードはどこかへ行ってしまった。
針を落とす。
意外にもスクラッチノイズは小さい。
高校生の頃だったか。
浪人の頃だったか。
僕は予備校へ行かず、自宅浪人、いわゆるタクロウだった。
毎朝5時に起きた。
朝刊配達のアルバイト。
現役の頃は毎日新聞、浪人中は部数の多い中日新聞と中日スポーツを配っていた。
そのころに擦り切れるほど聴いたアルバム。
♪ はるか遠く きみの歌が聞こえる なつかしい こころのうた
古めかしい あのピアノにのせて ささやかな こころのうた
歌いだし1秒で裏声になる。
まだ暗い午前5時の冷えた空気が甦る。
18歳の僕がひとり自転車で朝もやのかかった商店街を漕ぎ出す。
たゆたうようなバラードも心にしみた。
今でも歌える。
♪ あてない 長い道がある いくつかの山河こえて
胸がしめつけられるセンチな気分になる。
それさえも一種快感。
斎藤哲夫という名前を初めて知ったのは、吉田拓郎がカバーした「されど私の人生」だった。
高校生の頃、友だちのハラダマサト(なぜかフルネームで呼んでいた)五つの赤い風船の解散コンサートのライブアルバム「ゲームは終わり」を貸してくれた。
そのライブで斎藤哲夫が「吉祥寺」を歌った。
初めて聴いたハスキーな声とバンジョーの乾いたが心に残った。
♪ 吉祥寺を 通り過ぎて 右へ左へとほんの少し
そうさ 今日は良い天気 とても良い気分だから そう君に会いに行こう
きちじょうじ が何なのか?
地名だとわかって大学時代に吉祥寺へ行った。
東京の大学に通い、吉祥寺に下宿することを夢想した。
世間的にはこの歌で知られているかもしれない。
海辺でジーンズを脱いだ1979年の宮崎美子は64歳のおばあちゃんになり、
同世代の僕も65歳のおじいちゃんになった。
宮崎さんは今の懐メロを歌えるだろうか。
…とここまで書いてあの川柳である。
懐メロが 新しすぎて 歌えない
これは今の40代の人たち1990年代の宇多田ヒカルとかイエモンとかスピッツとかを
懐メロとして聴いているという現象をいうのだけど、あれ?と思う。
僕らにとって1970年代や80年代の流行歌。
斎藤哲夫の「いまのキミはピカピカに光って」や「いとしのエリー」は懐メロなのかな?
同時代の音楽、であって懐メロではないと思うのだ。
僕にとって懐メロは昔テレビでやっていた番組「思い出のメロディー」で流れていた歌だ。
藤山一郎とか、淡谷のり子とか、ディックミネとか、春日八郎…こそが懐メロ。
同時代にではなく、両親や祖父母、叔父叔母らが聴いていた歌。
懐メロの定義がちょっと違う様な気がする。
若い人にとって「いとしのエリー」は懐メロかもしれない。
以下、フォト日記です。