ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2022/12/26 (月) 失われた夢を記憶に刻むこと

【 12.26 日録 】

朝は曇り、六甲山の700m以上が雲に覆われている。

雲の中は雪が舞ってるのだろうか、と想像する。

粗大ゴミの処理場への持ち込みを昼イチに予約してあった。

 

久々にカーシェアで車を運転する。

記憶をたどると…6月に南アルプスの入笠山へ行ったとき以来か。

いつも半年くらいの間隔が空いてしまうので、いつも慎重になる。

免許は平成35年3月まで有効と記されている。

平成35年って…2023年、来年の3月じゃないか。

もう書き換えて5年が経ったのか。

 

処理場は混んでいて、持ち込みの車が行列を作っていた。

捨てたのは、プリンター、扇風機、炊飯器、電気ストーブ、アンプとCDデッキ、

それほど大きなものではない。

長いものが一組。

クロスカントリーのスキー板とストック。

クロカンスキーのレース用の板で、北海道の旭川で買ったものと記憶する。

1998年3月、美瑛でクロカンスキーをした。

ヒロは初めてだった。

25年前だ。

この写真はペンションでレンタルした滑り止めのあるいわゆる“歩くスキー”だ。

1998年3月  背後の山は十勝連峰

その冬、僕は長野オリンピックのクロスカントリースキーの中継の仕事をした。

気持ち良さそうにスキーを滑らせる選手を毎日のように観ていて感化された。

レースに出てみたい。

北欧にマラソンならボストンマラソンにあたるヴァーサロペットというレースがある。

90キロを1万五千人のスキーヤーが走る最大最古の大会らしい。

ヴァーサロペット - 在日スウェーデン大使館公認観光サイト

これに出たい! と(当時は)思った。

レーシングスーツで颯爽と北欧の雪原を走りたい。

荻原兄弟や河野選手みたいに登り坂はスケーティングして、下りはクラウチングで。

そのために国内のレースに出ておこう。

レース用の板を買った。

 

ここからは後日談。

その一ヶ月後、僕はひとりで妙高のハーフマラソンレースに出た。

妙高のスキー宿に泊まった。

(その宿は横山某選手というノルディックスキーのオリンピック選手の生家だった)

前日にコースを試走した。

フラットな美瑛とは違い妙高の林間コースは起伏が大きい。

自己流でテクニックのない僕はそのレース用の板では上ることが出来なかった。

ワックスが合わないとかいう高度な話ではなく、明らかに技術的な問題。

ヤバい!

その日の午後、“歩くスキー” を松本市内に買いに行った。

なぜもっと近い長野市へ行かなかったのか? 謎だ。

レース本番、当然ながら“歩くスキー”で参加している人はいない。

号砲、最後尾からスタートした僕はあっという間に離された。

当時はマラソンレースも同じだが、ゆるいランナーは少なかった。

ましてやスキーマラソンの参加者はほとんどが地元の愛好家かスキー部の高校生だ。

ネットもないので事前に情報を調べることも出来ない。

とぼとぼと“歩くスキー”でレースを続けた。

上りはたっぷり時間をかけ、下りは何度か転倒した。

今でもなぜだか分からないが、途中棄権しようとは思わなかった。

最後尾の雪上車に追われるように滑り(歩き)続けた。

雪上車から「まだ続けますか?」とマイクでアナウンスされた。

手をあげてレース続行の意思を伝えた・

ハーフの距離をフィニッシュした。

制限時間はとっくに過ぎていたので、完走証はもらえなかった。

今なら思う。

前日に棄権することも出来たし、途中で雪上車に拾ってもらっても良かった。

いやあ、初心者なもので、と照れ笑いしながらゴール地点へ運ばれたらよかった。

スキーを操れない人間が雪上21キロの距離を歩くのは恐るべきエネルギー消費だった。

転倒して起き上がる度に筋肉を酷使する。

41歳、まだ体力があったのだ。

心身ともにぐったりして温泉につかった。

翌日、西宮の武庫川団地に帰った

 

以来、クロカンは “歩くスキー” 専門にした。

レースをするならスクールで教えてもらおう、と当時はまだ思っていた。

歩く板をもう一組買って、ヒロと白馬や支笏湖や戸隠へ毎年のようにスノーツアーした。

晴れた日に真っ白な雪原を歩くのは本当に気持ちよかった。

 

2001年2月 白馬のみねかたスキー場のクロカンコースにて

ある年の北海道の大沼だった。

クロカンスキーではなく、スノーシューをレンタルした。

ガイドさんの愛犬バーニーズのダンといっしょに雪原を縦横無尽に歩き回った。

これいいじゃん。

2005年2月 北海道大沼にてスノーシュー初体験

 

僕らの楽しみ方なら長い板じゃなくてスノーシューの方がいいんじゃね?と。

案の上、スノーシュー最高だった。

板だと森の中とか狭い坂道で四苦八苦する。

下りは制御が効かないので転ぶ。

スノーシューは安定して林間も下り坂も楽しめた。

いつしかレース用の板も“歩くスキー”も物置部屋に置かれたままとなって20年が過ぎた。

 

粗大ゴミから長い話になってしまった。

モノを捨てるということは思い出を捨てるということか?

いや、失われた夢をモノではなく記憶として刻むということだ。

レース用の板は処分した。

“歩くスキー”は2組まだ物置に残っている。

この板なら平地のスケーティングくらいは出来る。

あれはあれで気持ちいい。

機会があれば滋賀の箱館山のクロカンコースで滑りたい。

懲りない奴。(笑)

 

スキー板を捨てた夜、愛読するブログの言葉がすんなり飲み込めた。

「不都合な真実」と題された元編集者の短い文章。

 他人が思っているほどバカではないつもりだが、

 自分が思っているほど利口でもないということが

 じわじわと明らかになって来た2022年の年の瀬。

不都合な真実 : 傍見楼日乗