ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2022/12/05 (火) 諦念と儚さ

ポスターもどこか耽美的 女学校的?

【 12.05 日録 】

日録をランダムにアップしている。

順番こだわると感じたことの新鮮さが失われて変質してしまう。

思ったことは日を置かずに書きたい。

で、これは12/12に書いているが一週間前の日記ですが…多少は変質してますかね。

 

午前中はきょう収録するインタビューの要旨をiPadに手書きする。

こういう作業は手書きがしっくりくる。

ホワイトボードと違って修正が楽で汚れない。

書いた後に大きさや色も変えられるのも便利だ。

僕にとっては手書きが出来なかったらiPadは意味が無い。

多忙ではないが、電車の中でも作業できるのも嬉しい。

晩年(?)に巡り会ったベストツールだと喜んでいる。

 

朝イチの珈琲のおともは自家製ロールケーキ(少なめ)

去年と同じくプロ野球イベントの収録、事前番組のインタビューでした。

 

このブログに背中を押され「いつか読書する日」をamazonプライムで観た。

まず、最近の記事を読んで…

blog.goo.ne.jp上の記事に紹介されていたこの映画を観た。

blog.goo.ne.jp

田中裕子と岸部一徳が主演の「いつか読書する日」は2005年公開の映画。

過去のことを描いているわけではなく、おそらく2005年の物語。

決して古い時代ではないが、画面を観ながら遠い過去を思ってしまった。

映画の中に30年の時間が閉じこめられているからだ。

ブログの人はこう紹介している。

坂道の多い小さな町(長崎でロケはしたが、作品上は架空の町)。
まだ薄暗い夜明け、牛乳配達をしている女。
大場美奈子――50歳、独身。
朝は牛乳を配り、昼はスーパーで働いている。
50年間、ずっとこの町にいる。
毎夜、ひとりのベッドで、読書(それがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』だったりする)をしたり、ラジオを聴いたりしている。
同じ事の繰り返し。
静かな生活。
だが、彼女には、三十余年秘めてきた想いがあった……

同じ町の市役所に勤務する高梨槐多は、毎朝近づいて来る牛乳瓶の音に、じっと耳を傾けている。
遠ざかる彼女の足音。
槐多はざわめく心を押し殺して、再び目を閉じる。
ある事件をきっかけに美奈子とは言葉を交わさなくなった。
だが、誰よりも大切な人――。

美奈子と槐多。二人は、触れ合うことはおろか、目を合わせることもできずに、幼い恋を胸に秘めたまま、30年以上の時間を別々に生きて来たのだった。

五十代独身なのに女学生みたいだ。

早朝に牛乳配達、そこからスーパーへ自転車で出勤する。

思い詰めたように全力で漕ぐのだ。

切ない思いに胸がしめつけられるように観た。

早朝の牛乳配達屋や長崎の坂道が印象的でさまざまな思い出がよみがえった。

音楽が大げさで古くさく、ちょっといただけなかったが邪魔になるまでではなかった。

思いを遂げたクライマックスから日常に戻る感じが儚い。

ああ、人生ってこういうもんだよな、と思った。

作品の魅力の半分以上は田中裕子と長崎の街にある。

かつての日活映画の倍賞千恵子に似た雰囲気があり、五十代なのに女学生みたいで愛おしい。

彼女が纏う “諦念とはかなさ” がこの映画のトーンを作っている。

香川照之演じるスーパーの店長が彼女にかける下品な台詞が忘れられない。

タイトルのいつか読書する日の意味を考えながら見終えた。

六十代後半になった田中裕子の最新作「千夜一夜」も見たいがたいていの劇場は終わっていた。

これも諦念と儚さか…。

 

本を読む、あるいは書店にまつわる映画にどこか惹かれる。

「いつか読書する日」「愛を読む人」「マイ・ブック・ショップ」「森崎書店の人々」「街の上で」

テーマもトーンも物語も全く違うけど、共通するのは隠されたエロチシズムだろうか。

異論はあるでしょうが。