ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2022/10/24 (月) いやいや、けっこう寝てるよ。

大阪城夕景 天守の右手に鳥影が…!季節は冬に向かっている。

【 10.24 日録 】

ここんとこ仕事モードなので7時半に起きている。

働き盛りの年代はニュースデスクをしていたので毎日深夜のタクシー帰宅だった。

そのせいで我が家は夜型が続いている。

朝はもう少しゆっくり寝ていたい。

夜にふかふかの羽毛布団に入るときに幸福感を感じる。

美味しいものを食べたり、飲んだりするよりも幸福の感度は高い気がする。

たのしい睡眠。

実は眠れない人やどこかが痛んで辛い人もいるだろう。

これだけでもシアワセ案件だ。

学生の頃は一日中寝ては起きてはして12時間くらい眠る日もあった。

眠るのも体力だ。

若いって凄いな、と思う。

そんな話をヒロにしてたら…

「いやいや大丈夫。けっこう寝てるよ」と言われた。(笑)

 

外へ出ると空気がひんやりして初冬みたいだ。

午前中は予約しておいた脳神経外科の外来へ行く。

先月に受けた脳ドックの所見を聴きに行く。

要精密検査の結果が出ていたのだ。

MRIの写真を見て話を聞く。

こういうことだった。

・MRIの結果を見ると…腫瘍や動脈瘤はない。

・今のところ脳こうそくもない。

・ただ脳幹の血管が細くなっている箇所がある。(細く映っている)

・MRIでは本当に細いのか、そう映っているだけなのかがわからない。

・脳のCTを撮って確認しましょう。

・もし細くなっていたら血液をサラサラにする薬を出します。

とのことだった。

65歳をきっかけに動脈硬化の状況を調べておこうと思った。

とことん調べたてヤバイところをほじくり出そうという気はない。

動脈瘤のようなシリアスな病変さえ見つからなければいいと思っている。

でも、まあCTくらいは撮っておこうかと思う。

血圧、血糖値、高脂血など動脈硬化のもともと心配はある。

生活の質をキープするための検査は受けよう。

もうひとつ心臓案件もある。

 

午後はテロップ原稿を書く。

4時近くになって編集の手直しに出勤。

通勤途中に手直し箇所をiPad Air でチェックする。

30分ほどで手直し完了。

8時過ぎに撤収して、久々に京橋吞みとする。

[七津屋]でいか下足フライをおでんだしで、と決めていたが…おでんが終わっていた。

[にしの]は既に閉店、コロナ禍のあと飲み屋も早じまいになってしまった。

[七津屋]で隣りに40代くらいのサラリーマンと70代後半のじいさまが話をしているのを、

聞きながら、熱燗と翠ジンソーダを飲む。

じいさまは建築現場で仕事をしているらしい。

最近、ベトナムからの出稼ぎの若者たちが円安で韓国へ流れているという。

「円安なんて一時的なもんやから、どうせすぐに戻ってくるわ」と爺さま。

サラリーマンは「いや、そうじゃないかもしれませんよ」と反論。

「そんなことあるやろか?」と訝しげな爺さまでした。

 

帰宅後、焼酎ロックを一杯だけ飲む。

「モダンラブ 東京編」の2話を観る。

主人公は榮倉奈々。

セックスレスの夫婦の話。

榮倉奈々は「娚の一生」で見た時以来かな。

2015/2/25 「娚(おとこ)の一生」@TOHOシネマズ西宮 - ぷよねこ減量日記

いまは34歳、当時は二十代半ばだったか。

 

出勤時の大阪城公園駅から撮影

七津屋で飲んだあとは…京橋うどんで細きざみうどん。

 

ひさしぶりに「ほぼ日」のページを覗いた。

なるほどと思うことが書いてあった。

 世のだいたいのことは、そういうものだよ、と。
 これは、じぶんに言い聞かせるようなつもりでも言う。
 人がひとつところにたくさん集まってるからといって、
 みんなの気持ちがひとつだなんて思いすぎないほうがいい。
 ほんとは、みんなばらばらなことを考えているのだ。
 そして、これは、これでいいのだ。

どうゆうことか、と言えば…

昔から、よく「野球場の観客たち」という話をしている。
 満員だと4万人とかの観客が入るスタジアムで、
 気をつけて周囲を見渡すと、
 真剣に試合を見ている人の数は、あんまり多くない。
 ビールを飲んだり、会社の話をしたり、弁当食べたり、
 トイレや買いものに出かけたり、いろんなことをしながら、
 それぞれが観客のひとりとしてそこにいる。
 選手の名前や、守備位置なんかをおおよそ知っている人も、
 たぶんそんなには多くないだろうな。
 真剣に、野球の試合を食い入るように見ている人って、
 四分の一の1万人もいないんじゃないかしらん。
 世のだいたいのことは、そういうものだよ、と。
 これは、じぶんに言い聞かせるようなつもりでも言う。
 人がひとつところにたくさん集まってるからといって、
 みんなの気持ちがひとつだなんて思いすぎないほうがいい。
 ほんとは、みんなばらばらなことを考えているのだ。
 そして、これは、これでいいのだ。

 人は、じぶんがなにかを真剣にやろうとすると、
 どうしても、みんなにも真剣になってほしいと願う。
 「おまえら、ちゃんと聴け!」という気持ちになる。
 そして、できることなら「言われなくても理解しろ」
 ぐらいのことまで要求したくなる。
 要求どころか、命令もしたくなるだろうし、
 命令に従わない者には罰だってあたえたくなったり。
 そうしたほうがうまくいく、ような気になるらしい。
 だって、歴史はそんなことを繰り返してきたからね。
 で、ことごとく失敗したり、悲劇的な結果になってきた。
 ほんとは、みんなばらばらなことを考えているのに、
 同じであるかのようにしたら絶対にダメなのだ。
 「オレの言う通りにしていればうまくいくのに!」と
 本気で考えられる人が独裁者になっていくのだろう。
 みんながばらばらは、まずは前提なのだ。
 その上で、なにが、どこがひとつになれるのか?
 なにでひとつになったら、うれしいのか?
 とても少ないことで、手をつなぐくらいがちょうどいい。
 ぼくは、いつからかそう思うようになった。
 だから、よく「野球場の観客たち」のことを言う。
 まずは、「みんながばらばら」を認めるところから、だ。
 だけど、みんなの拍手が重なるときだってよくあるんだよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ばらばらだけど、それぞれが親切」なんてのは、最高だな。

                                                       ほぼ日刊イトイ新聞

立ち吞みで隣で飲んでる人は…と想像してみた。