【 08.01 日録 】
日本政府の判断は正しかったのか? あの自粛は何だったのか? 爆打ちワクチンは効いてるの効いてないの? といろんなことに疑問だらけの夏です。本当に何が事実なのか、いずれはわかるのでしょうけど、今はよくわからないコロナのことを書くのはやめようと思った。前は“王様の耳はロバの耳”と穴に向かって叫ぶかわりにブログに書いたりしたけど、考えもまとまらないし、論旨もグダグダだし、しばらくはブログに書かず、メモだけをパンドラの箱ならぬコロナの箱に放りこんでおくことにしました。らぶんそのうちに「これは何だったの?」わけのわからないことばかりの詰まってる箱になりそうですが。メンタルヘルスにはその方がいいと判断、時間ももったいないしね。
8月が始まる。7時半の目覚ましに反応せず、8時に起床。今日は妹の厚子と永代供養について話をしておこう、と名古屋方面(東海市)へ日帰り。同時に母が亡くなったときはどうするか?も含めての相談と近況報告です。9時に出てJRで京橋、局に置きっぱなしだったスケジュールノートをピックアップして鶴橋へ。近鉄のアーバンライナーで名古屋。名鉄のデパチカで土産を買い、神宮前の宮きしめんで昼食、名鉄常滑線で最寄りの太田川駅まで行く。妹の厚子が軽自動車でロータリーで待っていてくれた。「駅前のコメダって言っても500mくらいあるんで暑いでしょ」とコメダまで軽で行く。確かに10分歩いたら汗だくになる。アイス珈琲を飲みながら1時間ちょっと話をする。母の意向を聞く。僕は3つの骨壺を共同墓地へ移す選択で受け入れ先を探すことにする。ついでに言えば自分が死んだときにどうするのか?も決めておきたいが順番はいまのところ後まわしだ。後まわしにしたい気分。(笑)
音信不通の弟の透や下の妹の由美子の娘のことを聞いてみたが、厚子も詳しくは知らなかった。考えてみたら厚子とこうしてサシで話をするのはいつ以来だろう。僕が刈谷を出たのは19歳のときだから、厚子は高校生だった。その頃にもサシで話した記憶はない。喫茶店で二人で話すなんて、もしかして生まれて初めてかもね。
厚子の近況も聞く。うちの母はことしの秋に90歳になるが、厚子の嫁ぎ先の母(姑)は97歳になるという。今日はたまたま駅前の病院へ通う日らしく病院に送ってきたという。病院で薬をもらったあとは駅前のMEGAドン・キホーテで待つ予定だと。病院からドン・キホーテまでは炎天下を歩かねばならない。でも、え?97歳のおばあちゃんが今MEGAドン・キホーテで待ってる?! 早く迎えにいってあげないと、と心配すると「だいじょうぶ、いつも3時間くらいは平気でドン・キホーテにおるよ」とのこと。足も頭も達者なので、ショッピングモールをあちこち歩き回るのを楽しみにしてると言う。97歳はひとりでショッピングもする。「腰曲がってないし、パッと見は80そこそこにしか見えないよ」 ひるがえって梅田の地下街を少し歩くとぐったりしている自分のことを考える。32歳も下なのに…。自分はトシの割に元気な方だと思っていたが…鍛え方が足りないようだ。人はまわりの人を見て生きている。自分より年下で弱っている人を見て優越感を感じているといつか後悔する。
その97歳の話を聞いたせいか、暑いのでこのままどこへも寄らずとっとと帰るつもりだったが、滅多に来ない知多半島のつけ根まで来たのだ。少し先の古い町常滑(とこなめ)まで行ってみようと思った。夏の日盛り、今回はやめとこうと思っていたのだが。一期一会、ここまで来て駅前を歩いてみて、もういちど来たいと思ったら、気持ちのいい季節にまた来たらいい。再訪したいと思わなかったらそれまでの縁 一期一会だ。名鉄でセントレア(中部国際空港)方面へ南下、常滑焼(窯業)で有名な常滑のやきものの散歩道を1時間ほど歩く。これは別記事でアップしよう。やきもの散歩道を道に迷いながら1時間ちょっと歩く。当然だが汗だくになる。帰りは特急の指定席で名古屋まで。名鉄のデパチカで鮨と日本酒を買って居酒屋アーバンライナーとする。レギュラー席は失敗だった。折りたたみのテーブルが狭すぎる。