ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2022/07/18 (月) マラソンを追いかけて

きのう、陸上の世界選手権の男子マラソン、今日は女子マラソンの中継がある。

日本時間だと夜10時、現地時間だと6時にスタートで、かなり涼しそう。

コースの片方を開放してるのだろう。

観客がバイクでレースを観戦しながら走っている。

さすがトラックタウン ユージーン。

世界と同じスピードを感じながら観戦するなんてサイコー!

現地にいたら絶対に早朝バイク観戦してる。

一汗かいてシャワーを浴びて朝食、気持ちいいだろうな。

 

時速20キロ前後で走り続ける。

アメリカはロードバイクよりマウンテンバイクやクロスバイクが多い。

 

で、思い出したのが昭和30年代の毎日マラソン。

コースは琵琶湖ではなく大阪の堺だったと思う。

走っているのはローマの石畳を裸足で駆け抜け金メダルに輝いたビキラ・アベベ。

そのアベベを一目見ようと、日本人たちが当時「ローマの休日」で流行ったスクーターやHONDAのカブ、鉄製の自転車(出前に使ってるやつ)で追いかけている。

自家用車、おそらくマツダのキャロルやミゼットも走っている。

季節は6月、蒸し暑さや排気ガスでアベベは苦しんだという記録が残っている。

びわ湖毎日マラソン大会 || 大会の歴史

中国か、ベトナムか? がんばれ、がんばれ、アジアの中進国。(笑)

1961年6月、4歳半だった。

この写真の頃の日本に生まれ…  ♬ わたしは今日まで生きてみました。

昭和36年、アベベも、追いかけている人たちの半分以上はこの世にいない。

あの頃、日本人が知っている外国人スポーツ選手の名前はアベベが断トツ1位だったような気がする。ベーブ・ルースもルー・ゲーリックもジャック・デンプシーも馴染みじゃなかったし、テニスもゴルフも庶民は知らなかった。強いて言えばプロレスラーか。ブラッシー、デストロイヤー、フリッツ・フォン・エリック、ブルーノ・サンマルチノ、いやいや1961年ではシャープ兄弟くらいか? とにかくアベベの知名度は突出してたと思う。なぜだかわからないけど。