先日、「還暦の向こう側」のモーさんからブログを綴ることの意義についてコメントをもらった。
この機会に自分もいまいちどブログ(僕の場合はほぼ日記に近い)の効用を考えてみた。
ブログを毎日アップすることは身体にいいのか?
そういえば……何年か前にこの件について書いた記憶がある。
検索したら2013年12月だった。
2004年から始めた毎日更新がちょうど10年目だったのか。
読み返すと…ふむふむ、そうそう、この日に書いたことはその時から10年経っても同じですね。
10年前の自分に同感、異議なし!
ブログ(日記)の意義は“生活における体幹の強さ”をキープすること?
いや、単に楽しいと思えてるからでしょ。
ということで再掲します。
日記(ブログ)を毎日更新するようになって10年が経つ。
意外としつこいとこあるやんと自分ながら呆れている。
もともと中学生の頃から日記をつける習慣はあった。
最初はノート、1997年にPowerBookを買ってからパソコン。
ブログという形式で毎日アップするようになったのは2004年から。
SINCE 2004 アテネ五輪があった年の1月からだ。
きっかけは…はっきりと憶えている。
番組で関わったメジャーリーガーの長谷川滋利の本。
『不可能を可能にすること 僕のメジャーリーグ日記 』
最初は不可能に思えたゴールにたどり着くため、
彼が習慣にしたことが “ 毎日 日記を書く” だった。
日記をつけるということは、1日20分程度、自分の人生を振り返ることだと思う。
日記を書く効果は、今年の僕の成績にも反映されている気がする。
あとがきにそう書かれていた。
書かれていた内容に特別な感銘を受けたわけじゃないけど、
毎日書く、というそのアイデアを自分も採用しよう。
天からの啓示のように受け止めた。
10年続いた。
そのアイデアを実行してよかった、と心から思う。
いろんな出来事があった。
自分が入院したり、母や嫁が乳がんの手術を受けたり、
身内を亡くしたり、震災や津波も他人事じゃなかった。
大きな破綻なく生活をコントロール出来たのは、
愚直に日記を書き続けていたからだと思う。
(日記は生活における体幹の強さを鍛えてくれたのかも)
いや、それだけじゃない。
毎日アップを自分に課して過ごした10年は、
その前の10年より楽しかったような気がする。
暇さえあれば一人で海外へ遊びに行ってた若いころより、
ずっと幸せだったかもしれない。
日記をブログとして公開することで他人とのつながりも強くなった。
同世代の友人、年若の友人、遠くに住む友人、まだ会ったことのない友人、
自分を取り巻く人々と同じ町に住んでいるような感覚だった。
47歳から56歳、普通なら友達が少なくなっていく季節に反対に新しい友達が増えていった。
この10年のMVPは間違いなく“毎日 日記を書き続けたこと” だろう。
あ、そうそう。
2003年に日記をブログという形で公開しはじめて数年は、
エディターソフトで書いてからブログにアップしていた。
当初、公開するものと非公開のものと多少は区別してたと思う。
そこには黒いぷよねこもいたと思う。
公開するようになってしばらく経った。
いつからだろうか?
とりててて、秘すべき嫌悪も、恨みも、愚痴も、消えてしまった。
公開している自分が、そのまま本当の自分になった。
隠していることは…全く無いとは言えないが、概ね自分だ。
他者への嫌悪が薄まった。
これも日記の効用だろうか。
(2013年12月の日記より)