ぷよねこ減量日記 since 2016

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間 である。 (星野道夫)

2022/06/14 (火) 綿のように疲れて丸太のように眠る。

火曜日、近畿地方も梅雨入りした模様宣言が出る。

いつから…した模様ってまどろっこしい表現になったのだ?

梅雨入りを宣言しました でいいじゃん。

空梅雨になったときの予防線なんだろうか。

 

で、今日は朝からテロップ原稿をシコシコと書いてました。

管理職や、重役にふさわしくない仕事ですね。(誰が重役や?!)

はい、不肖わたくし65歳の現場作業員は目と指とわずかに脳を使って頑張ります。

で、雨の中、出勤して、映像の入った素材ディスクをスタジオに届けて、

雨の中、あちこち歩いて、ちょっと吞んで、ちょっとラーメン食べて、

帰宅したら、丸太のように疲れていた。

もうあかん、って感じにぐったりしていた。

いや、丸太のように…という形容は…眠るに使うのだった。

疲れたの形容は、綿のように…か。

まさにそんな感じ。

なんだこれ?

病気か? と思った。

振り返って疲労の原因をさぐってみよう。

きのう何だか衝動的に3軒はしごして吞んだ。

酔ってはいなかったけど、帰りが23時近くになった。

雨だったので傘をさして2キロ歩いた。

その前日、日曜日は終日編集作業だった。

今日は朝からデスクワーク、目と指と少しだけ脳を使って作業した。

雨の中、また2キロほど歩き、ラーメンと焼きめしを食べたあたりから疲れを感じる。

そのあと雨に打たれてヨドバシ梅田へ行き、ネットで注文した登山ザックを引き取り、

阪神電車に乗り、香櫨園からまた雨の中を歩いた。

ま、綿のように疲れるには前々日、前日、今日と、それなりに原因が横たわっているのだ。

原因があり、結果がある。

ポーランドの詩人シンボルスカも言っている。

原因と結果を 覆って茂る草むらに

誰かが寝そべって 穂を嚙みながら

雲に見とれなければ .ならない (始まりと終わり)

シンボルスカ「始まりと終わり」 声 「非戦」を読む

この名詩をつまらない引用をしてはいけません。

寝そべって雲に見とれる…か。

22時15分、今日は早めに就寝。

明日は7時には起きるぞ。

 

朝は10時に朝食、自家製ベーグルとハムエッグ

駅まで歩く。公園にまだ汚れのないクチナシが咲いていた。

大阪城公園のタリーズでテロップ原稿の続き。雨の森を見ながら…。

天神橋商店街の「庶民」に衝動的に入る。きのうに続き失策。

年イチで食べたくなる天下一品のこってりラーメン、これも今日じゃなかった。

オスプレーの24リットルザック、この引き取りも今日じゃなかった。