涼しい朝、5月半ばってこんなに涼しかったっけ?
例年なら半袖ポロシャツで外出する季節じゃなかったかな。
今は長袖のコットンセーター、夜はウインドシェルを羽織っている。
自分の余命3ヶ月システムのPHASEが変わって半月が経った。
最初は毎日運動、軽い筋トレ、ラジオ体操、プールやジョグもしてたけど、
いつからだったか?、いつのまにか、サボってここ数日何もしてない。
5月4日までは続いていた。
6日から賢島へ行ったあたりからサボり(歩いたりはしたが)、
帰宅後にボーマンになったりで、なかなか再開できずに一週間が過ぎた。
こういうのはゼロコロナと同じであまり厳格すぎてもダメだが、あまりユルすぎてもダメだ。
ゆるいながらも規律は大切。
早めに戻そうと夕方から周回コースをジョグ&ウォークする。
今日はずっと家ごもり。
祖父祖母(+父)の納骨堂の件で伯父(父の弟)の勇さんに電話する。
先日、帰省したときに携帯番号を聞いておいたのだ。
30年以上のブランク、オレオレ詐欺と間違われないように。(笑)
勇さんの声も話しぶりも、記憶しているものとあまり変わってなかった。
元気そうだ。
「僕は65になりました。まだ仕事してます。」と伝える。
勇さんは79歳、今は娘さん夫婦と2人の孫(27と25)と同居しているという。
娘さん夫婦は五十代だろうか。
しあわせそうだ。
勇さんは若い頃は豊田自動織機でサッカーをやっていた。
かつての日本リーグで当時は日本トップ、今でいうJリーグの選手だった。
子どもの頃、東洋工業やヤンマーとの試合を見に行ったこともある。
メキシコ五輪に出た小城(東洋工業)や釜本(ヤンマー)も試合に出ていた。
いま西宮に住んでいるというと、高校サッカーの全国大会で行ったことがあるという。
当時の全国高校サッカー選手権は西宮のラグビー場で開催されていたのだ。
ある時期、高校野球、高校サッカー、高校ラグビーの全国大会はすべて西宮が会場だった。
納骨堂のことは「ヒロシの好きにして」という。
わかりました。でも、そういうことじゃなくて…と言いたかったがやめておく。
僕にその義務はないけど父親は別にして祖父祖母には世話になった。
永代供養か、樹木葬か、納骨堂の更新か、収まりのいい方法を考えよう。
自分の行き先や母親の行き先も考えなくては。
井上理津子「いまどきの納骨堂」を読み終えたら結論を出そう。
きょうは写真を三枚撮った。