ヨーロッパ東部方面で戦争が続いている。
うちの食卓での会話。
「でも、オレらが生まれてからずっと世界のどっかで戦争はあったよなあ」
「新聞やテレビが伝えるだけが情報で、SNSとかなかったね」
「動画でリアルに死体が映ってるとちょっと過剰に感情的になるよな」
「ルワンダの虐殺とかスマホに流れて来たりしたら目を背けるだろうな」
昨日、僕らが生きてきた時代の話をしたけど、思えば僕らは世界戦争が終わってから生まれ、
幼年期、青年期、壮年期とずっと世界中のどこかで戦争は続いていた。
アメリカは何年間にも渡ってずっと戦争をしていた唯一の国だった。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争が2回…。
どうなんだ?って思うけど、そこをいま主張してもロシアの免罪符にはならない。
こんなとき、前に読んだ新書「新・戦争論」(2014年)のやりとりを思い出す。
戦争における命の価値について思う。
佐藤優「冷戦の一番の特徴はイデオロギー対立でした。ところがグルジア情勢をめぐるグルジア、ロシア、アメリカの対立には、イデオロギーの対立はどこにもない。典型的な領土争いであって、旧来型の帝国主義の対立です。」
池上彰「それを私流に言うと、“過去の栄光よ、もう一度”ということなのです。
たとえばソ連が崩壊してロシアになってしまいましたが、旧ソ連のクリミア半島の権益を守りたい、という気持ちがやはりプーチン大統領にはあるでしょう。中国が今、南シナ海からさらにインド洋まで進出しようとするのも明の鄭和の大航海であの辺りを開拓したからだ、というわけです。南シナ海がなぜ中国のものなのか、何の理論的根拠も出せない。「イスラム国」は2020年までに、東はインド、西はスペインまで取り戻すと言っています。」
佐藤「ウクライナ問題がなぜ解決しないかというと、誤解を恐れずに言えば、まだ殺し足りないからです。パレスチナ問題が解決しない理由も、流血の不足です。「これ以上犠牲が出るのは嫌だ」とお互いが思うところまでいかないと、和解は成立しないのです。」
池上「ソマリアからアメリカが撤退するには、十数人の犠牲で足りたことになりますね。」
佐藤「そうです。この争いは無益だ と思うためには、一定の数の人間が死なないとダメなのですが、それは、ある国では何十人、ある国では何万になる。時期によっても変わります。」
池上「1990年代のルワンダでは100万人と言われる犠牲者が出ましたね。ヨーロッパではもっと少なくなるし、アメリカならさらにずっと少ない、中国も、中越戦争(1975年)では数万人という犠牲者が出ています。にもかかわらず、当時の体制は揺るぎませんでしたが、今だとあれだけの犠牲者は出せないでしょう。体制維持が難しくなる。」
佐藤「そのあたりのことは冷めた目で見る必要があるでしょうね。要するに「嫌な時代」になってきたのですよ。(文春新書「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」より)
朝イチのナレーション録りのあと、ぽっかりと時間が空いた。
春めいて霞んだ空の下、大阪城梅林まで散歩する。
東京マラソン2万の市民ランナーが走り、基準をあいまいにしたまま、コロナ規制が
ゆるんでゆくのはいかにも日本的というべきか、ラテン的というべきか。
構成の相談相手をしていると、それなりに疲れる。
疲れるとそのまま帰りたくなくなり、京橋立ち吞み横町へ。
久しぶりに「にしの」の端っこ、テレビの前のポジション確保。
280円のまぐろ刺身が旨い。
焼鳥、ねぎま串焼きが旨い。
酒は普通酒の白鶴。
個性を主張しないや控えめさが最近好ましく思っている。
なにより安い。(笑)
いかなごを4キロ炊いた。
ジップロックに詰めこみ、10枚買ったスマートレターで発送準備をする。
我が家の歳時記、日本郵便は土日の配達がないから、日曜に投函しよう。