ちはやふる近江神宮に詣でて、南志賀駅まで歩き、終点の比叡山坂本で下りる。
去年の12月に来たばかりの駅、ホームは新しいが終着駅はどこも風情がある。
【きょう一日の行動ログ】*赤字がこの日記に記した行程
自宅〜[🚲自転車]〜JR西ノ宮駅 〜[🚞JR]〜からJR大津駅〜[🚶徒歩]〜京阪浜大津駅(大津城跡🏯→大津港🚢→旧大津公会堂)〜[🚊京阪電車]〜近江神宮駅[🚶徒歩]〜近江神宮〜[🚶徒歩]〜南滋賀駅〜[🚊京阪電車]〜比叡山坂本駅〜[🚶徒歩]〜昼食@日吉そば〜[🚶徒歩]〜滋賀院門跡〜[🚶徒歩]〜坂本城跡🏯〜[🚶徒歩]〜穴太駅〜[🚊京阪電車]〜三井寺駅〜[🚶徒歩]〜浜大津駅〜[🚊京阪 京津線]〜三条駅〜[🚶徒歩](赤垣屋経由)〜祇園四条「遊亀」にて晩酌〜[🚶徒歩]〜阪急河原町駅[🚞阪急電車]〜阪急梅田駅〜[🚶徒歩]〜JR大阪駅〜[🚞JR]〜JR西ノ宮駅〜[🚲自転車]〜自宅
まっすぐ日吉神社方面、山側に向かう。
大きな鳥居の背後に雪化粧した山が映える。
前回はモミジが赤く染まっていたが、今日は幽玄の美か。
でも、日吉神社も、比叡山のケーブル乗り場にも行かない。
目当ては蕎麦だ。
雪が舞うような寒い日に、店に駆け込んで熱い蕎麦を食う。
青森ではラーメンを食べたが、今日は蕎麦だ。
比叡山坂本で有名なのは鶴㐂(つるき)そば。
観光案内にも、ガイドブックにも出ている有名店。
老舗らしく立派な木造建築の店構えで、天ぷら蕎麦が旨いと聞く。
でも、きょうはここではない。
その手前の角にある「日吉そば」に決めていた。
司馬遼太郎先生の「街道をゆく 叡山のみち」にこの日吉そばに入ったとある。
そもそも司馬先生の御一行は有名な鶴㐂そばへ入るつもりだった。
だが、日吉そばの隣が駐車場で、そこに大きく派手に鶴喜そばと書かれていて、
間違えて日吉そばの方に入ってしまったのだ。
司馬先生は書いている。
なかへ入ると、どこか街道ぞいの商いのにおいがあり、やや雑然としているのもわるくない。ただ、人がいなかった。(やがて意外にもきれいな娘さんが出てきた)…ここは鶴㐂ですか、とわかりきったことを聞くと「ちがいます」 おそらく似たようなあわて者がとびこむことが多いらしく、彼女は石でものみこんだように不快げな表情をけなげにも維持していた。客商売でないなら、彼女は私どもをどなって追いかえしてもいいところだろう。こちらは恐縮してしまい、ともかくも出されたものを食った。外へ出ると「日吉そば」とある。何度見ても姿のいい店である。(「街道をゆく 叡山のみち」より)
司馬遼太郎の一行が何をどんな蕎麦を食べたかはわからないが、この日吉そばに行ってみよう。
そう思った。
事前にネット検索して口コミを読むと、昔懐かしい大衆食堂の雰囲気がよろしいとあり、
鶴㐂そばのように天ざるみたいなメニューはなく、古代そばなるものがおいしいとある。
古代そばとは湯葉と生姜をのせた一品らしい。
寒い日によろしいな。
日吉そばに入った。
客は老人がひとりで蕎麦とご飯を食べていた。
すぐに年配の女性が出てきて、お茶を出してくれる。
迷わず、古代そばを注文する。
この人が司馬先生らが訪れたときの若い娘さんかな。
「街道がゆく」のこの回が週刊朝日に掲載されたのは1979年〜80年とある。
そのとき二十代半ばとしたら、あれから半世紀が経つ。
女性はおそらく七十代、計算は合う。
そんなことを思いながら店の中をぐるり眺める。
確かになつかしい。
古いが汚れてはいず、上品な老人のよう。
僕が坐った入り口に近い端には石油ストーブが燃えている。
このぬくもりも懐かしい。
ほどなく湯気を立てて古代そばが供される。
眼鏡が一瞬にして曇る。
湯葉とおろした生姜、刻んだ葱に蒲鉾が一枚。
なぜこれを古代そばというのか?
つゆをすする。
旨い。
いや、めちゃめちゃ旨い。
そして、身体がぬくもる快感。
生姜が滲みる。
つゆも残さず食べ終わる。
すこし汗ばむほどに温まった。
700円払って出ると、雪足が強まっていた。
古い街並み、近くに酒屋があった。
石川商店とある。
米や灯油や宅急便も扱う町のなんでも酒屋。
近江の地酒を買う。
御代栄の純米「うちのみ」北島酒造は湖南市にある蔵らしい。
酒瓶をバックパックに入れていると小学校低学年らしき女の子がじっと見ている。
大きな声で「こんにちは!」と挨拶された。
「こ ん に ち は」僕は好々爺になってゆっくりあいさつを返した。