大晦日。
家の大掃除はヒロが独自の基準とペースで進めているので手を出さない。
へたに手伝おうとするとイラつかれて怒られるのは必至。
一人暮らし、独身時代の年末年始はどんなふうに過ごしていたのか思い出す。
年末まで仕事をしていたし、実家と呼べるものはすでになかったので帰省はしなかった。
独身生活が長く、一人暮らしのワンルームの公団住宅で大晦日になって突然掃除を始め、
バタバタしてる間に年越しになって、正月になっても終わらなかったりして。
大掃除っていったん始めると終わらないのは今も同じ。
今日もせめて自分の部屋はきれいにしておこうと始めたら終わりそうもなく妥協した。
三が日は暇なので身体を動かす作業を残しておこうと先送り。
結婚前の三十代は年越しでヨーロッパへ行った。
28歳の時は厳冬のウイーンで年越しした。(ウイーンだったのはたまたま)
34歳は元旦に伊丹空港から渡欧、10日ほどドイツ、ハンガリーを旅した。
35のときは2日に出発してイタリアを2週間かけて鉄道旅行をした。
いま思うと、よくもあんな寒いヨーロッパへ好んで行ったものだと思う。
1月のベルリンなんて氷点下25度だった。
冬は好きな季節で、寒さは全く気にならなかった。
何よりも若かった。
2020年の大晦日、午前中からiMacのデスクトップの整理整頓、午後から部屋の掃除。
カレンダーの貼り替えとかホワイトボードのクリーニングとかを済ませ、他は先送りにした。
日没前にジョギング、ことし最後の日の入りを見ながら海沿いを走る。
初日の出を拝むというのは行事としてあるが、日の入りを拝むというのはあまり聞かない。
ミレーの「晩鐘」を思い浮かべる。
あれは日没ではなく、教会の鐘の音に祈りを捧げているのか…。
THINGSというアプリに今年の十大ニュースを記した。
追ってこの日記にも書いておこう。
「孤独のグルメ」ロードムービー編 や年忘れにっぽんのうたや紅白を見ながら過ごす。
自家製叉焼で、少し日本酒を吞み、鴨とねぎの年越し蕎麦を食べる。
僕のPHASE4の人生は今日で終わり。
10月に決めた目標(TO-DO)は何一つ出来なかった。
それでもダラダラと投げやりに一年を生きてきたわけではないと思う。
それなりにジタバタはした。
概ね満足。
でも、反省点は山ほどある。
アスリートだとしたら「全力で次のパリを目指します」という心境かな。(笑)
大晦日、新しい朝を生きて迎えることが出来ますように。
去年2020年の日記だが、いまの心境を表現している記述がある。
いまより良いところに行こうという態度は、実際に行くことより意味があるのかもしれない。
終着駅が見えなくても、今より良いどこかへ行こうと ささやかな望みを持つこと。
再掲して一年の終わりとしよう。
自分のゴールがわからなくなってしまった。
若いときだって明確なヴィジョンがあったわけではないけれど…。
ゴールが見えなくなったというより、諦めが加味されて、ゴールそのものが霧消した。
生物的なフィニッシュ地点が見えてきたからだろうか。
負けは覚悟した。
残り15分。
なすすべも無くプレイタイムが削られていく。
僕はこの夏、得点する意欲もなく、ただボールを追い、このコロナ時代を過ごしている。
逆転勝利の可能性が限りなく小さいとしても、自陣でマイボールを回すだけの日々。
それが最適解だとは思えない。
ただ、もうこのままでいいや いまが維持できればいいや というのは違うぞと最近思う。
今の年齢を考えれば肉体的には現状維持=成長というのが現実であることはわかる。
でも、生きる態度として、それはないな ダメだな と思うようになった。
いまより良いところに行こうという態度は、実際に行くことより意味があるのかもしれない。
終着駅が見えなくても、今より良いどこかへ行こうとささやかな望みを持つこと。
よくわからないことを書いてごめんなさい。
警鐘の延長、抵抗の迷走、このコロナ下で自分の人生が削られていく。
人間が生きるのはなにかと面倒くさい。 2020/8/25
以下はフォトダイアリー。