きのう買って電車の中でパラパラやっていたスズキナオの新刊にこんな記述があった。
大阪に引っ越してきたナオさんは東京に住んでいるときより、海が身近になったと感じている。
海を見に行くだけの午後…「よし、今度の週末は海に行くぞ!」というふうに構えずとも、日常の延長線上という感じで行くことができる。
それはおそらく、駅の目の前に海があるからだ。というか、須磨駅を過ぎてからさらに明石方面へ行くあいだにも車窓から海が見えて、乗車料金にいくらか加算されてもいいのではないかと思うぐらい得した気になる。(中略)最寄り駅から大阪駅まで出て、網干行きの快速電車に乗り換える。本を読んだり、スマホを見たり、たまに窓の外を見て、気づけばウトウト眠っていたり、そうしているといきなり海が目の前に現れる。
須磨駅の改札を出るとすぐにコンビニがある。そこで発泡酒を買い、コンビニの向かいの「水野家」で和牛ビーフコロッケを買う。これだけでひとり飲みセットができ上がる。それを持って砂浜へ。海水浴の季節を避ければ人もまばら。水平線を一望しつつコロッケにかぶりつく。やたらに美味しい。
(スズキナオ「遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ」より)
読みながらふむふむと肯く。
僕も同じように早く仕事終わって、ふと海が見たくなって快速に乗ったことがある。
そして、改札横のセブンイレブンで缶ビールを買い、向かいの「水野家」でコロッケを買った。
だから、こんな記述にニンマリしてしまう。
かつては知らない国、行ったことのない土地にばかり憧れていた。
中央アジアのサマルカンドという町の響き、アラスカの白き峰々、アイルランドの孤島…。
見たこともない風景や食べたことのない料理や酒に心ときめいた。
今は、…半径10キロ以内の身近な風景や街並やコンビニで買うビールやカップ酒に心ときめく。
堕落したのかな、と思う。
大人になったのかな、とも思う。
膨大な未来があると信じていた頃と、限られた残り時間だということを自覚した今。
その差なのかな、と思う。
「遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ」
この本の現代詩のようなタイトルの意味が、少しだけわかった気がした。
午後から出社、スノーボードの選手にリモートインタビューする。
不手際で映像が収録できないというトラブルがあったが最終的に事なきを得る。
残り時間で今月6日に収録したインタビューの文字起こしをする。
13分くらいのものを一気に済ませると目がしょぼしょぼして限界だった。
夜はS澤社長とナカオ酒店(角打ち)でふたり忘年会。
実は去年もクリスマスイブに同じナカオで飲んだと日記にある。
雨が降り、高速が渋滞して約束の時間に遅れるとのこと。
時間つぶしに京阪京橋駅の構内で出来た七津屋に寄る。
以前はカレー屋があったところだ。
あ、金土のサービスデーとのことで、生ビール中250円を注文。
つまみは玉ねぎ炒めかもやし炒めか迷い、玉ねぎ炒め200円にする。
文字通り、玉ねぎを炒めてタレをからめた一品。
ワインコイン以内でほろ酔い気分になれる七津屋は凄い。
京阪で天満橋まで行き、歩いて引き返す。
雨は上がっていた。
久々、3月以来のナカオ酒店です。
まんさくの花とよこわの刺身。
ほどなくS澤氏が到着、WEBサイトの連載記事についての方向性を話し合う。
なるほど、今、僕が校正を担当している記事群をクオリティ重視で変えていきたいとの意向。
2022年、僕の人生が続いてたとしたら、新番組の件もあり、忙しくなりそうだ。
出来ることと出来ないことは自分の中ではっきりさせて無理せずに関わっていけばいい。
もうかつてのような忙しさには耐えられないだろうし、忙しいのはもとより好きではない。
いつ何か自分のあずかり知らぬ何かがあって状況が一変することだって当たり前にある。
肩の力を抜いて適当にいきましょう。
🎵 適当に手を抜いて行こうな 真面目に好きなようにやんな
我れ行く旅の道中は 予期せぬことばかり
テキトーに生きな、と桑田佳祐が歌っている。