午前中にWEB原稿の校正にとりかかる。
校正と言っても取材先のチェック(済)だから、誤字脱字とタイトルの追加くらい。
1時間半ほどで完了、アップロードして一件落着。
記事によってはとりかかれば意外に早く終わるのだ。
とにかく立ち上がりが遅い。腰が重い。気が向かないのはわかるが仕事だからね。
今日みたいに、朝イチで何も考えずにとりかかる と決めてやるのがいいかも。
パソコンで他のことを始め出すとつい後回しになる。
きょうは駅伝中継の打合せが15時からある。
今はリモート参加も、リアル会議室も可能。
少し前に出て、北千里の三色彩道へ行こう。
僕の中には紅葉欲求というものがあって、この季節になると満たさずにはいられない。
10月に飛騨の天生湿原の森を歩いたが、少し早かったのでいまだ満たされていない。
朝晩冷えてきたし、夙川沿いの桜も赤く染まってきたので三色彩道もそろそろいいだろう。
梅田から阪急電車、淡路で乗り換えて北千里へ行く。
北摂のハイソなエリアですね。
5年ぶりか…。
もう5年になるのか。
ミッシャ・マイスキーのコンサートへ行った日だった。
チェロの音色と三色彩道はよく似合う。
歩道のベンチにすわって持参した保冷ボトルに入れた文佳人の純米吟醸を飲む。
脳内にマイスキーを再生する。
花見酒ならぬ紅葉酒。
西洋風の並木はタイワンフウ、アメリカフウ、トウカエデ。
いわゆる日本のモミジ(イロハカエデ)とは違う。
学生時代を過ごした金沢の中央公園にもアメリカフウのきれいな並木がある。
この三色彩道、3種の色づき具合が違うので赤、黄、黄緑と三色になるのでこの名前がついた。
ことしは遅いのと、いつもより少し早いのか、片側は緑が多い。
何よりも秋の光がいい。
この通りはちょっとした近場の観光地になっている。
老人の介護施設のマイクロバスが停車し、人生の先輩たちが散歩する。
要介護の高齢者を見て、自分の10年後、20年後を思う。
生きていれば確実にくる未来、いや現実。
自分が三十代四十代の頃と感じ方がずいぶん違う。
午後3時から会議室で駅伝中継のリアル打合せ。
丹後駅伝はこれで何回目だろうか。
これが最後かなと思い始めたのは何年前で、何がきっかけだったのか。
来年はどうなってるかな?
でも、ここんとこ完全中継になってからの仕事は朝がめちゃ早い。
前日は午前6時半に大阪京橋、当日は5時45分宿舎を出発。
いいかげんトシヨリなのに早起きが辛いのはなんでだろう?
夕ごはんはしんぱち食堂で焼き魚で吞むと決めていた。
環状線で大阪駅へ向かう途中、つくもうどんでカレーうどんもいいなと思ったが初志貫徹。
しんぱち食堂は前に来たときより混んでいた。
アクリル板で仕切られたカウンターに座る。
焼き魚を2種類注文するのにご飯は半盛りとちょっと変に思われるかなと思ったが、
タブレットでオーダーするので変な気後れは要らない。
鮭の西京焼き定食(ご飯は半盛り)850円
三羽いわし単品 350円
冷奴 50円
生ビール中ジョッキ(定食セット) 150円
純米酒の熱燗が飲みたいが生ビールしかないのが残念。
鮭の西京焼きのボリュームが凄い。
焼き魚2点はちょっと多すぎたかな。
やっぱり定食に冷奴をつけるくらいがちょうどいい。
ま、食べたかったので…案件です。
でもこの店は開いた干物系の方が旨いな。
口が焼き魚で魚臭くなってしまう。
なんか揚げものを一品食べたいなと思い始め新梅田食堂街をうろうろする。
「初音」で串カツ2本と熱燗と決めていたがびっしり満員。
一周してもなおも満員で諦める。
外から空きが見える「松葉」に決める。
何年ぶりだろう。
ここは大阪に出てきて旅行会社に就職した春によくひとりで飲んだ店。
ある晩 飲んでいたら隣の男、おそらく三十代、に話しかけられた。
こてこての大阪弁で、世間擦れした感じの男だった。
「兄ちゃん、今から女をひっかけにいこうや」とか、
「知ってる店があんねん。ママが古手川祐子そっくりやで」とか。
そんな言葉で誘われたが新入社員の僕は応じなかった。
応じなかったが世間話は続き、何本も串カツを食べ、ビールばかりをたらふく飲まされた。
おごってもたったような記憶がある。
その帰りの阪急電車は満員だった。
途中、急に吐き気がして我慢できなくなった。
次に停車した駅のホームへ飛び出し吐いた。
降りた客や車内に残った乗客から、うわ っと驚く声が聞こえた。かまわず吐いた。
スーツ姿の新入社員 吐いた駅は夙川だった。
今の最寄り駅だ。
そこからアパートのあった阪急六甲までどう帰ったのか記憶にない。
ここもアクリル板で仕切られたカウンター。
この手の大箱の立ち吞みは仕切られていた方が気楽だ。
変な割り込みもないし、トナラーもいないし。
タコハイを注文する。
酎ハイをこの店ではタコハイっていうのだと思い出した。
この店はビールもサントリーをメインに扱っていてタコハイはサントリーの登録商標。
中身は甲類焼酎だから酎ハイなんですが…wikiにこんな記述がある。
1980年代の居酒屋ブーム、酎ハイブームを背景に、サントリーが開発した製品。当時、サントリーは焼酎の製造免許を取得していなかったため、実際は甲類焼酎の「サントリー樹氷」をスピリッツ規格の「マイルド・ウォッカ」と称して販売していた。このため焼酎をベースに炭酸で割ったハイボールである「酎ハイ」との差別化と、樹氷の消費拡大を狙って「タコハイ」の名称で飲み方を提案し、缶入り飲料を発売した。現在は、サントリーの本拠である大阪を中心とする居酒屋や立ち飲み、串カツ、スナックなどの飲食店で「タコハイ」を飲むことができる。これは現在は甲類焼酎として販売されているサントリー樹氷をベースとしたカクテルを意味する商標であり、製法や成分は通常の酎ハイと変わらない。
でも、なんで酎ハイがタコなのか?
どうやら田中裕子のCMが起源らしい。
このCM、記憶にある。
でも、なんでタコが言うのよ、なのか?
タコとは誰を指して言うのか?
982年にコピーライターの仲畑貴志が女優の田中裕子を起用して、企画制作されたサントリー樹氷のCM「タコなのよ、タコ。タコが言うのよ。」が放映されて評判を呼び、当時の流行語になる。その当時、居酒屋を中心に酎ハイブームが起こっていたこともあり、樹氷をそのまま酎ハイベースにし、その「タコ」をイラストに仕立てて、タコハイが誕生する。仲畑はサントリーのCM企画で、たびたび田中を起用したCMを放映し、樹氷→タコハイと立て続けに田中をCMに起用。CMはそれぞれ評判を呼び、コピーライターとしてだけでなく、CM企画者としての仲畑の評価も高まった。
ちなみに仲畑は「なぜあのCMでタコというフレーズを使ったのか」という質問に対して、「嫁入り前の年齢になったいいとこの娘さんを持った父親をイメージしていたら、当時の雰囲気と簡潔な表現を求めてゆく内に、結果としてタコに行き着いた」という風に語っている。
そのCMがこれ ▼
よくわかりませんね。(笑)
でも、なんか伝わってくる雰囲気は酔い心地に似て気持ちいい。
80年代にはこれは あり、だったんだ。
いまは受けるかな? どうなんだろう?
ちなみに宝酒造も純を酎ハイに使っているものを純ハイと呼んでいた。
ホワイティの串カツ屋「ヨネヤ」はいまだに純ハイ。
そのタコハイと肉系の串カツ3本にする。
タコハイ380円
串カツ(豚ヒレ、牛、鶏) 510円
久々に食べた松葉の串カツは揚げたてでもべちゃべちゃして美味しくなかった。
今日はなぜか満足出来るつまみで出会えない。
もう一軒、「北京」のエッグでウイスキーを飲もうかと思ったがやめておく。
帰りのJRで吐くことはありませんでした。
JR西ノ宮の駅前にある「万 ban 」でおでんを少し食べようかな。
ほろ酔いだとこんなものであれこれと迷走する。
万を覗くとカウンターは満席!
おお、コロナ前に戻って来たのですね。
僕はコロナに関係なく混むのは嫌いだ。
あっさり帰宅し、グンゼスポーツの風呂へ行く。
寝るまで樋口明雄「還らざる聖域」を読み進む。
北朝鮮正規軍に襲われた屋久島の運命は?!