鈴木忠平「嫌われた監督 〜落合博満は中日をどう変えたのか?〜」(文藝春秋)
500ページ近い長編を読み通したのはいつ以来だろう、久々のことだった。
眼鏡堂氏に勧められてamazonの試し読み機能で少し読んだら先が読みたくなった。
1900円+税でちょっと高いなと思ったがKindleでは読む気がせず、本を購入。
面白くてウイスキーを飲みながら一章ずつ読むのが秋の夜更けの愉しみになった。
本の感想を、落合という男の所感を、自身の思う評価を、レビューしようとメモを記した。
プロローグ、スポーツ紙の駆け出し記者だった著者が、自称“デスクの伝書鳩”として、
落合邸で張りこむ場面は、自らの体験と重ね合わせて読んだ。*
2007年に日本シリーズの山井の交代劇を僕はどこで知り、どう感じたか。
2008年の阪神とのクライマックスシリーズ、藤川がウッズに特大の3ランを浴びて終戦。
中継を見たのは梅田の立ち吞み屋で、酔客が「敬遠しとけ!アホや岡田」と罵っていたこと。
(この本ではこのシーズンのこの対戦とは別の二人の勝負シーンが紹介されていたが…)
落合と他の監督との野球観の違い。
建前を是としない落合という男の自然体。
加えて退任が発表されたとき、選手たちのモチベーションの変化がラグビーのエディー・ジョーンズ退任発表と重なってこと。
そんなことをつらつら書こうかなと思って、最終章 エピローグを読み始めた
あれ?
これは…?
これって泣ける本? …じゃないよな。
ー 室内に言葉はなかったが、一人一人の雄弁な感情によって満たされていた。
このチームはいつから、これほど熱いものを内包していたのか。
…誰もその場を去ろうとしなかった。
室内に満ちた郷愁はやがて長い戦いに勝利したような充足感へと変わっていった。
脳内に映画「ルディー」のテーマが流れて来た。
目頭が熱くなった。
実際にハードディスクに保存してある「ルディー」を流した。
思い入れたっぷりにして、さらに音楽でケレン味を加え、エピローグを読了した。
泣くと気持ちがすっきりする。
すっきりしたら、感想メモはもう要らないなと思った。
僕が感じた凡百の感想は不要だと。
もっとも心動かされた描写、書き手にジェラシーさえ感じたのはソフトバンクとの
日本シリーズ7戦目終了後のベンチ裏のシーン。
468頁から469頁。
そこだけ落合じゃないような気がしたが、落合は何も変わっていないのだと思い直す。
この本でぐいっと引きこまれた一文は何かと問われたら…
ー 我がボスは当時の監督だった星野仙一のことは「仙さん」と呼んだが、落合のことは
投げやりに「オチアイ」と呼んだ。どうやら落合のことが好きではないらしい、
ということだけは伝わってきた。
冒頭近くのこの投げやりな表現だった。
*1988年、スポーツニュース記者となった僕が最初に飛び込み取材した相手は、当時40歳
南海ホークスの主砲 門田博光だった。ホークスの天皇と呼ばれ、球界でも一二を争う
気難しい選手であることを知らなかった僕は軽い気持ちでドキュメンタリーの取材を
オファーした。企画書を出した翌日、ゲーム終わりで門田が呼んでいると広報に言われた。
ロッカールームの前で待っていると「おい、ヨミウリ入ってこい」と声がした。
あとで知ったがメジャーリーグの取材はロッカールームで受けるのが当たり前だが、
当時も、今も日本のプロ野球は記者がロッカールームへ立ち入ることは出来ない。
僕はそのことさえも知らなかった。
入っていくと風呂上がりで上半身裸の門田博光がロッカーの前に座っていた。
まわりに選手は誰もいなかった。
「あの、企画書は見てもらえました?」
「見たけど、あんなもん文藝春秋のコピーやないか」
その通りだった。
「わかった。そんで何撮らせたらええんや?」
「ご自宅での様子と、通勤されてるとこと…」
「…わかった一回だけやで」
オファーを受け入れてくれたのだと理解した。
…実はそのあと何度も学園前の自宅を撮影したり、オリックスとの契約更改で張り込みをしたり、
番組オンエア直前に自宅に電話がかかってきたり、なかなか濃厚な関わりを持つことが出来た。
その顚末も「嫌われた監督」の感想として書こう思ってましたが、なんかちょっと違和感があって、違うなと思い直しました。
当時のドキュメンタリー番組がYou-Tubeにアップされてました。
門田さん40歳、僕は31歳でした。
昭和63年、まだギリギリ昭和だったのか!
30年以上前の自分のインタビューの声を聞くことが出来るのはYou-Tubeさまさま。
番組のラストカット、スタジオに31歳の僕がサイドデスクに座ってます。
都知事選に出馬する前の青島幸男さんも若い。
高見千佳さんはいまどうしてるのだろう?