仕事慣れしていない。
忙しさが常態ではない。
となると、たまに仕事らしき案件が入ると当然ストレスになる。
普通の人には大した負荷ではない軽作業みたいなものでも重労働と感じる。
バッテリーのメモリー効果みたいなもので、いつのまにかパワー不足、集中力不足、想像力不足。
若い頃はこんな案件の3つや4つ、束になってやっつけてきたのにな。
なんて心でうそぶくと「若い頃から集中力もたいしたことなかったね」と誰かの声が聞こえる。
まあ、今日、ミニ番組のリニューアルのための編集と本編のチェックをしたのでした。
リニューアルは2018年の4月にして以来、まる3年間サボっていたのだ。
で、きょうは飲むつもりはなかったのに、仕事が一段落すると無性に飲みたくなる。
午後7時、腹も減っている。
かねてから中華あんのものが食べたいと思っていて、どこかないかと探したら…。
京橋「大阪王」に行き着いた。
餃子とビール、中華飯か天津飯かにしよう。
カウンターの端に坐る。
瓶ビールにしようと思ったら瓶はないそうだ。
経営者変わったのかな?
餃子、ここのは旨い。
そう思って待ってたら、出てきた代物がどこか違う。
食べたら不味くはなかったけど見かけも味も少しだけ落ちたような気がする。
まあいい。
空いてるカウンターで文庫本を読みながら生ビと餃子。
司馬遼太郎「城塞」に印象的なシーンがあった。
江戸幕府を開いて十年、徳川家康が二条城に豊臣秀頼を呼ぶ。
秀頼は十八歳、家康は七十、古希を迎えている。
豊臣家の跡取りはどれほどのものじゃ、と家康は品定めしようとしていた。
聞くところ大阪城街外へ出たこともない阿呆ボンだとの噂がある。
どれどれ、と家康は秀頼を二条城に迎える。
ところが…!
秀頼を見た謀臣 本多正純との会話。
「どのようにかの人をごらんあそばされましたぞ」
ときくと、家康はだまっている。やがて、
「そのほうから申せ」
「意外や」
と、正純はいった。この一語につきまする、という。
意外にもあほうではなかった、というのである。
このとき、家康は得体の知れない怒りがこみ上げて枕をなげつけたという。
その形相は凄まじかった。
家康にはこの手の発作がたまにあることを謀臣たちは知っていたが…。
(ご自分のお齢が腹立たしいのか)と推測した。
家康の肉体が年々衰えていくとは逆に、秀頼の肉体は年々壮気をくわえてゆくという、
この自然の理はどうであろう。これに対して家康はどうにもできぬばかりか、
秀頼はかれのみたところ、本多正純が値踏んだ以上にすぐれた人体にみえた。
いや人体などどうでもよい。ゆゆしいのは、秀頼の若さであった。
色の濃いあんの天津飯をかきこみながら家康のかなしみと怒りに同情した。
かくも狂おしき嫉妬、徳川家の行く末を想像するに秀頼は許しがたい存在になったのだ。
秀頼は六尺(180センチ)の偉丈夫の美男。
初めて見た京の人々は豊臣家の跡継ぎの姿に騒然となる。
今も昔も世論で政権は左右される。
老いた天下人は側近に言う。
「つぶせ」
「関ヶ原」を何年か前に読んだが、この「城塞」を読むと天下分け目の戦いは、
天王山でも、関ヶ原でもなく、大坂の陣だったんだと知る。
歴史にif(イフ)はつきもので、もし、秀頼が秀吉に似て卑小な小男だったら…。
ああ、酒が進むわ。