トイレ本で椎名誠の「遺言未満、」を読んでいる。
椎名さんも76歳、自分は死亡適齢期であると書いている。
若いころ、仲間うちでドツボ案件があると「あ〜人生終わったあ」なんて言い合ったりした。
本を読んでいると、兄貴的存在だった椎名さんの人生も確実に終わりに近づいていること、
そして、自分も「人生の終わり」を意識するようになったことを感じつつ、個室でリキんでいる。
「あ〜人生終わったあ」なんて台詞が冗談だった日々が愛おしい。
ここんとこ、すき間時間を見つけては動画編集やファイル変換なんかやっていた。
午前中もあるし、寝る前にやったりする。
集中が持続しないので細切れにやる。
正直、つかれる。
この疲労の正体はなんだろう?
目? 眼精疲労ってやつかな。
仕事があるときはこの手の日記や写真整理の作業は控えるべきなのだ。
きのうで首都圏も緊急事態宣言が解除になった。
石垣島の旅するシンガーソングライター輪さんの毎日一曲歌う動画も一旦一区切り。
40日間ずっと毎晩見ていたのでちょっと淋しいな。
でも、なにかが終わるのも季節がめぐるのと同じ。
少しのさみしさも喪失感も人生の薬味やスパイスなのです。
そうして季節のページはめくられるのです。
僕らは何かを書いたり話したりするとき、意識的に(あるいは無意識に)、
「〇〇を××で食べた。店は空いていた。」「テーブルの間隔は広くていい店だった。」
と三密ではないことに一言触れる。
自分にも覚えがある。
でも、なんかもういいよね、ウザイよねって思ってしまう。
イノセントのアピール?
もうそーいうのいいから、と思う。
普通にしていたい。
感染者数は結局、あんまり減らなかったのに解除になった。
身体感覚として感じる恐怖に現実感がないからだろうと思う。
西宮市で一日で陽性者が二ケタになったりする。
感染者のほぼ95%が軽症、無症状なのだが…。
と井戸の中に毒を吐く。
午前中に少し走る。
桜のパトロールも兼ねて夙川公園から芦屋浜。
まだ少し肌寒いのかソメイヨシノはちらほら、オオシマは五分から七分咲きだった。
週末には満開になりそうだ。
月末あたりから一週間が見頃、例年よりちょっと早い感じかな。
梅田と尼崎へ買いものに出かける。
東急ハンズで油性のマーカー、クレヨン風に描けるマーカー、ホワイトボードマーカーを購入。
ユニクロで村上春樹の「1972年のピンボール」とジェイソン・ポランのTシャツ、
「ダンス・ダンス・ダンス」のピンバッジを買う。
ピンバッジなんてコレクターでもないのに。
長編小説は「風の歌を聴け」「1972年のピンボール」「羊をめぐる冒険」が好きです。